橋幸夫チャリティ・ショウ
「橋幸夫チャリティ・ショウ」は、1963年9月に発売された橋幸夫のミュージックブック(MBK6008)。ソノシートが付属している。
概要
編集- 1962年9月20日に発売された橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」(日本ビクター,VS807)は、発売から「1ヶ月で30万枚という驚異的な記録をたて...半年すぎた翌年5月には100万枚を突破した」[1]、第4回日本レコード大賞を受賞した。売上げはその後も好調で、翌年7月2日、120万突破を記念して(現在までの売り上げ累計は250万枚[2])橋は、「橋幸夫チャリティ・ショウ」を開催した。
- 会場は東京厚生年金ホールで、日本ビクターと読売新聞社が後援した。収益は読売新聞社を通じて「光の協会」に寄付された。
- ショウでは吉田正が自ら指揮し、橋は9曲歌唱し、ビクター所属歌手も協賛出演した。[3][4]
この記録が、9月に日本ビクターからミュージックブック「橋幸夫チャリティ・ショウ」として発売された。
内容
編集協賛出演者
編集(出演順)協賛出演者は各1曲を歌う
付属ソノシート
編集両面盤が4枚付属
- あいさつ/橋幸夫、いつでも夢を/橋幸夫、舞妓はん/橋幸夫 シート1A面
- 九十九里から来た男/水上清、白い野茨の花/山中みゆき シート1B面
- 風流数え唄/橋幸夫、瞼の母/橋幸夫、シート2A面
- 成田の花太郎/橋幸夫、おぼろ月夜の三度笠/橋幸夫 シート2B面
- 天下取るよな男なら/三沢あけみ、渚に寄せて/星富佐夫 シート3A面
- 花のマーブル通り/藤本二三代、恋のサラファン/曽根史郎 シート3B面
- 若い東京の屋根の下/橋幸夫、東京ギター/橋幸夫 シート4A面
- 白い制服/橋幸夫、フィナーレ/全員 シート4B面