樫田村
日本の京都府南桑田郡にあった村
樫田村(かしだむら)は、京都府の南西部、南桑田郡に属していた村である。現在の大阪府高槻市樫田地区にあたる。
かしだむら 樫田村 | |
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廃止日 | 1958年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 樫田村 → 大阪府高槻市 |
現在の自治体 | 大阪府高槻市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 南桑田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
889人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
南桑田郡篠村、乙訓郡大原野村、亀岡市 大阪府:高槻市 |
樫田村役場 | |
所在地 | 京都府南桑田郡樫田村 |
座標 | 北緯34度57分07秒 東経135度35分25秒 / 北緯34.95181度 東経135.59025度座標: 北緯34度57分07秒 東経135度35分25秒 / 北緯34.95181度 東経135.59025度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
編集明治時代の町村合併により、樫田村が発足した。地域にある樫船神社の「樫」と、母体となった村の一つ・田能村の「田」を組み合わせて「樫田」の村名が名付けられた[1]。
南桑田郡内18町村合併構想を受け、郡内の他町村が亀岡市への合併参加を相次いで表明する中で、樫田村は村を挙げて、地勢的・経済的に結び付きの強い大阪府高槻市への合併を要望した。遠因の一つとして、府境と分水界の不一致および樫田村を襲った再三の水害発生後の、京都府の冷遇対応が挙げられる。そのためか、住民の8割が高槻市への合併に賛同したという。片や、京都府議会議事録から、当時の京都府知事蜷川虎三による慰留意欲はほとんど見られない[2]。
府境を越える合併要望のため、各方面では慎重に検討された[3]。
1958年4月1日、高槻市と府を越えた合併をした。この越境合併をする前は地図上では府境が平らになっていたが、合併後は大阪府高槻市北部が凸形になり、京都府南西部は凹形になった。凹凸形の府県境による越境合併は、これが初めてである。