横田豊一郎
横田 豊一郎(よこた とよいちろう、1892年(明治25年)2月20日[1] - 1980年(昭和55年)5月26日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集徳島県出身[1][3]。1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業[1][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官した[4]。
1933年(昭和8年)1月、歩兵少佐に進級[5]。1935年(昭和10年)3月、陸士付となり、同年8月、歩兵中佐に昇進した[5]。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に進み陸軍経理学校生徒隊長に就任[3]。
1939年(昭和14年)5月、歩兵第33連隊長に発令され[3] 日中戦争に出征したが、まもなく内地に帰還した[1]。1940年(昭和15年)12月、支那派遣軍付となり中国戦線に出征[1][3]。1941年(昭和16年)1月、中支那下士官候補者隊長に転じた[1][3]。
1942年(昭和17年)8月、陸軍少将に進級し第5独立守備隊長に発令され満州に赴任[1][3]。1944年(昭和19年)5月、前橋陸軍予備士官学校長に発令され帰国[1][3]。同年7月、東部軍司令部附を経て[6]、独立混成第66旅団長に発令され伊豆諸島・新島の警備に従事[1][3]。1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進み、同年5月、陸軍歩兵学校付となる[1][3]。同年6月、第344師団長に発令され[3]、高知県宿毛で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸軍将官辞典』784-785頁。
- ^ a b 『現代物故者事典 1980〜1982』347頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』337頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』328、337頁。
- ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調』160頁。
- ^ 「第130号 昭和19年7月8日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120913500
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調』偕行社、1936年。