横瀬貞顕
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横瀬 貞顕(よこせ さだあきら)は、江戸時代前期から中期にかけの高家旗本。高家横瀬家(表高家)の祖。官位は従四位下・侍従、駿河守。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 万治元年(1658年) |
死没 | 享保14年8月26日(1729年9月18日) |
別名 | 左門、式部(通称) |
墓所 | 東京都文京区の本念寺(墓石) |
官位 | 従四位下侍従、駿河守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗 |
氏族 | 由良氏、横瀬氏 |
父母 | 由良貞房 |
兄弟 | 由良頼繁、由良繁栄 由良貞寛、貞顕ら5男1女 |
妻 | 村越正直娘 |
子 | 貞国、大越貞恒 |
略歴
編集万治元年(1658年)、由良貞房の四男として誕生。寛文9年(1669年)4月21日、4代将軍・徳川家綱に御目見する。
延宝6年(1678年)3月29日、書院番に加えられる。延宝8年(1680年)3月26日、蔵米300俵を賜る。元禄2年(1689年)閏1月26日、表高家衆に加えられる。元禄12年(1699年)11月28日、高家職に就き、従五位下・侍従・美濃守に叙任する。後に従四位下に昇進し、駿河守に改める。また、蔵米を改め、下野足利郡内において600石を与えられる。元禄15年12月22日(1703年)、加増されて1000石を知行することになる。享保13年12月4日(1729年)、老齢を理由に高家を辞職する。