横澤吉久
(横澤将監から転送)
横澤 吉久(よこざわ よしひさ)は、伊達政宗に仕えた仙台藩士で、通称は将監(しょうげん)。一時期キリシタンとなり、聖名をトン・アロンソ・ハシャルトとした。ハシャルトは、ヌエバ・エスパーニャ(スペイン帝国副王領)のマニラ総督からもらい受けた。
国分宗政の次子の国分弥三郎(盛基)がのちに国分氏から分家し横澤と名乗り将監と称した。(横澤氏の祖) 仙台藩・陸奥国宮城郡実沢村立田館(現宮城県仙台市泉区寺岡6丁目[1])に居住したとされる。
伊達政宗の命を受け慶長遣欧使節を率いて南欧に渡った支倉常長を迎えるため、1616年(元和2年)に浦賀からヌエバ・エスパーニャのアカプルコ(現メキシコ)へサン・ファン・バウティスタ号で船長の任を受け渡った。 帰路に立ち寄ったヌエバ・エスパーニャのマニラ(現フィリピン)で改宗しキリシタンとなった。1620年(元和6年)帰国。のちに棄教したため迫害は免れた。
備考
編集脚注・参考文献
編集- ^ 泉パークタウンの仙台泉プレミアム・アウトレットなどがある辺り
- 「横澤将監と斎藤家の法華塔」(宮城県医師会報。2002年7月号)
- 「横澤将監と国見・斎藤家の法華塔」(仙台郷土研究第27巻2号。2002年12月)