横浜市立生麦小学校
神奈川県横浜市にある小学校
横浜市立生麦小学校(よこはましりつ なまむぎしょうがっこう)は、神奈川県横浜市鶴見区生麦に所在する公立小学校。
横浜市立生麦小学校 | |
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北緯35度29分43.8秒 東経139度40分15.8秒 / 北緯35.495500度 東経139.671056度座標: 北緯35度29分43.8秒 東経139度40分15.8秒 / 北緯35.495500度 東経139.671056度 | |
過去の名称 |
生麦学舎 生麦学校 生麦尋常小学校 尋常高等生生見尾小学校 尋常高等鶴見小学校 生麦国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 横浜市 |
設立年月日 | 1873年 |
開校記念日 | 6月14日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B114210020199 |
所在地 | 〒230-0052 |
横浜市鶴見区生麦4丁目15-1 | |
外部リンク | 横浜市立生麦小学校 |
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沿革
編集出典[1]
- 1873年(明治6年) - 生麦学舎として開設。
- 1875年(明治8年) - 生麦学校に改称。
- 1887年(明治20年) - 生麦尋常小学校に改称。
- 1894年(明治27年)7月 - 尋常高等生生見尾小学校に改称。
- 1921年(大正10年) - 尋常高等鶴見小学校に改称。
- 1923年(大正12年) - 第1回開校記念式典を挙行(木造校舎)。
- 1924年(大正13年) - 生麦国民学校に改称。
- 1927年(昭和2年)4月 - 横浜市立生麦尋常高等小学校に改称。
- 1931年(昭和6年)9月 - 生麦教育会を生麦尋常小学校教育後援会と名称変更。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、横浜市立生麦国民学校に改称。
- 1942年(昭和17年)4月 - 岸谷国民学校分立。
- 1945年(昭和20年)9月 - 横浜大空襲により校舎焼失した大口通の日大四中・日大四商(日本大学第四普通部)が生麦国民学校の校舎を半分借用し授業再開[2]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、横浜市立生麦小学校に改称。
- 1947年(昭和22年)11月- 生麦小学校の校舎を半分借用し授業再開していた日大四中・日大四商(日本大学第四普通部)が港北区箕輪町に移転。
- 1948年(昭和23年)
- 1964年(昭和39年) - 創立40周年記念式典開催。
- 1974年(昭和49年) - 創立50周年記念式典開催。
- 1975年(昭和50年) - 昭和50周年記念碑除幕式。
- 1977年(昭和52年)3月 - 新体育館完成。
- 1983年(昭和58年)1月 - 学校南側フェンス改修工事完工。
- 1994年(平成6年)11月 - 校舎改築の工事竣工。創立70周年の記念式典および祝賀会を開催。
- 2004年(平成16年)6月 - 創立80周年の記念式典開催。
- 2014年(平成26年)7月 - 創立90周年の記念式典開催。
- 2019年(令和元年)9月 - 新校舎トイレ工事完了。
- 2020年(令和2年)
- 3月 - 地域学校共同本部「生麦まごころ隊」発足。
- 9月 - 正門工事完了。
通学区域
編集- 横浜市鶴見区[3]
- 大黒町
- 大黒ふ頭
- 鶴見中央五丁目の一部
- 生麦二丁目、生麦三丁目の一部、生麦四丁目、生麦五丁目
進学先中学校
編集周辺
編集アクセス
編集- 横浜市営バス「生麦地区センター」バス停下車。
- 停車系統は、「17」・「18」・「181」の各系統。
- 京急生麦駅から、徒歩約510m・約8分。
脚注
編集- ^ 沿革横浜市立生麦小学校
- ^ “学校紹介沿革・校歌”. 日本大学高等学校. 2024年11月30日閲覧。
- ^ 小・中学校等の通学区域一覧(通学規則 別表)横浜市
- ^ 2014年3月までは「横浜市立生麦保育園」。はじめに(生麦保育園ホームページ内)