横川嘉範
略歴
編集16歳のとき広島市段原東浦町で被爆。1949年広島師範学校を卒業、爆心地から4キロの地点にあった広島市立仁保小学校の教師に赴任。生徒が校庭で人骨を掘り出したことから『あの日』の記憶に苛まれ退職。1951年に上京した後、東京都江東区や世田谷区などで小学校教師を勤め、戦時教育の反省から児童の生活指導と平和教育で活躍した。東京に住む被爆者の会・東友会会長・顧問を務めた[1]。
著書
編集- 『子どもの生活と教育』 (三一新書)三一書房 1964
- 『子ども入門 親の知らない子どもの世界』明治図書出版 1973
- 『親はなぜ偉いか わが体験的子育て論』あすなろ書房 1980
- 『かしこい子どもをどう育てるか』高文研 1984
- 『原爆を子どもにどう語るか 平和教育・被爆者運動の経験から』高文研 1997