横島町
日本の熊本県玉名郡にあった町
横島町(よこしままち)は、熊本県の北西部に位置していた干拓の町。
よこしままち 横島町 | |
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廃止日 | 2005年10月3日 |
廃止理由 |
新設合併 玉名市、岱明町、横島町、天水町 → 玉名市 |
現在の自治体 | 玉名市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 熊本県 |
郡 | 玉名郡 |
市町村コード | 43362-4 |
面積 | 16.95 km2 |
総人口 |
5,687人 (2003年) |
隣接自治体 | 玉名市、天水町 |
町の木 | キンモクセイ |
町の花 | コスモス |
町の鳥 | ヒバリ |
横島町役場 | |
所在地 |
〒865-0072 熊本県玉名郡横島町大字横島3644番地 |
座標 | 北緯32度52分39秒 東経130度33分20秒 / 北緯32.87761度 東経130.55564度座標: 北緯32度52分39秒 東経130度33分20秒 / 北緯32.87761度 東経130.55564度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集西は明辰川を挟んで玉名市と、東は唐人川を挟んで天水町と隣接している。また南のほうには有明海が面している。町域北部に小高い丘(外平山)があるが、これはもともと有明海に浮かぶ島であり、それ以外の町域はすべて江戸時代からの干拓により造成された土地である。
歴史
編集江戸時代の1605年(慶長10年)に初代熊本藩藩主加藤清正の命により、現在の外平山にあたる島(横島)と本土の間の海を干拓して陸地とし、それ以後江戸時代から明治時代中期にかけて干拓を繰り返し、南側に陸地が伸びている。戦後の1967年(昭和42年)に国により横島町としては最後の干拓が実施された。
沿革
編集行政
編集- 町長:立野興一
- 助役:松本稔彦
経済
編集2002年度町内総生産126億円。
産業
編集地域
編集教育
編集- 中学校:玉名市横島町中学校組合立有明中学校(現:玉名市立有明中学校)
- 小学校:横島町立横島小学校(現:玉名市立横島小学校)
交通
編集道路
編集- 一般国道
- 一般県道
- 熊本県道327号大浜小天線
名所・旧跡
編集出身著名人
編集- 田代保之(貴族院多額納税者議員)
参考文献
編集- 「横島町史」横島町史編纂委員会編(玉名市、2008年)
- 「横島郷土志」園田一亀著(横島村、1949年、復刻版 横島町教育委員会、1979年)
- 「横島郷土誌副読本 : 次世紀へ残したい横島の遺産」(横島町)文化財保護委員会編(横島町教育委員会、1995年)
- 「横島の近代百年」沼垣 功/編著(沼垣功、1980年)
- 「横島に伝わる地名と由来」沼垣功著、横島校区まちづくり委員会改編(2012年)
- 「池辺吉十郎伝」下田一喜著(池辺先生伝刊行会、1921年)
- 「竹崎順子」徳富蘆花(健次郎)著(福永書店、1923年、全集版 蘆花全集刊行会、1929年)徳冨蘆花は竹崎順子の甥にあたる。全集版 p.99〜120「第八章 横嶋」
- 「竹崎茶堂先生」(竹崎茶堂先生伝記編纂会、1930年) 竹崎順子の夫である竹崎茶堂の伝記、義理の甥にあたる徳冨蘇峰の序文がある。p.34〜39「横島の新地開作」
- 「よこしま:横島干拓工事誌 昭和50年3月」九州農政局横島干拓建設事業所編(1975年)
- 「横島町干拓史 昭和62年9月再版」(横島町教育委員会、1987年)
- 「玉名市干拓関連施設調査報告書」玉名市教育委員会編集(玉名:玉名市教育委員会、2011年)(玉名市文化財調査報告 第25集)
- 「玉名市の干拓遺産 〜国指定重要文化財「旧玉名干拓施設」を中心に〜」 横島町文化財保存顕彰会編(玉名市文化遺産を生かした地域活性化事業実行委員会、2012年)
- 「見どころ土木遺産第66回 有明海旧干拓施設群-石を積んで大海を拓く-」高尾忠志著(土木学会誌 vol.95 no.1、2010年 p.38-39)
- 「近代干拓技術の足跡を見せる「旧玉名干拓施設」」佐藤 尚著(建設コンサルタンツ協会誌Consultants vol.258、2013年 p.8-11)
- 「干拓新田の歴史地理的構造:肥後国玉名郡横島新田」喜多村俊夫著(名古屋大学文学部研究論集V 史学2、1953年 p.323-356)(「新田村落の史的展開と土地問題」喜多村俊夫著(岩波書店、1981年)に載録)
- DVD「ここはむかし、海だった 歴史の語り部「玉名干拓遺産」(横島町文化財保存顕彰会、2013年)