横山武夫

日本の歌人・作詞家、元青森県副知事 (1901-1989)

横山 武夫(よこやま たけお、1901年12月15日 - 1989年8月22日[1])は昭和時代日本歌人作詞家。元青森県副知事青森県立図書館館長。

横山 武夫
よこやま たけお
誕生 (1901-12-15) 1901年12月15日[1]
日本の旗 日本 青森県青森市
死没 (1989-08-22) 1989年8月22日(87歳没)
職業 歌人作詞家
旧制中学校教員
青森県副知事
青森県立図書館 館長
最終学歴 慶應義塾大学経済学部 卒業
活動期間 昭和時代
代表作 『笹森儀助と藤井富伝』(1969年)
青森市民歌」(2代目)作詞
所属 羅漢柏(主宰)
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生涯

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1901年(明治34年)、青森市日本鉄道(のち鉄道院→鉄道省を経て国鉄)職員の家庭に生まれる[1]。1915年(大正6年)に有志で短歌誌『樹焔』を創刊し若山牧水太田水穂らの寄稿・指導を受けた[1]旧制青森中学校を経て1924年(大正13年)に慶應義塾大学経済学部を卒業。青森へ帰郷後、県内の旧制中学校各校で教員を務める傍ら1928年(昭和3年)に短歌誌『羅漢柏』(アスナロ)を創刊、自ら主宰する[1]

1946年(昭和21年)に旧制青森中学校校長を退職後、県教育次長を経て津島文治知事に請われ、副知事に就任する[2]。副知事在職中は十和田国立公園指定15周年記念事業として高村光太郎に記念像の作成を依頼し、1953年(昭和28年)に「乙女の像」が建てられた[2]。副知事退任後は青森県立図書館長に就任し、青森県文化振興会議会長、青森県文化財保護協会会長、棟方志功記念館館長などを歴任した[1]。また、作詞家として元県立弘前高校音楽教諭の木村繁とのコンビで2代目「青森市民歌」を始め、県内各校の校歌を数多く手掛けている。

1989年(平成元年)8月22日死去[1]。享年89(満87歳没)。東奥日報社が主宰する県短歌大会では1947年(昭和22年)から亡くなるまで42年にわたり選者を務めていた[1]。青森市内では市立造道小学校に「山は呼ぶ」、諏訪神社に「山を仰ぐ」の詩碑がそれぞれ建てられている。

著作

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  • 笹森儀助翁伝(今泉書店、1934年)
  • わが心の人々(津軽書房、1969年)
  • わが心の島木赤彦 上・下(津軽書房、1981年 - 1982年)

歌集

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  • 山上湖(青森国士会、1947年)
  • 太陽光(津軽書房、1972年)

作詞

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  • 青森市民歌(2代目、作曲:木村繁)
  • 板柳町民歌「知恵と大和」(作曲:木村繁)[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 横山 武夫 (よこやま・たけお)”. 青森市民図書館. 2023年7月12日閲覧。
  2. ^ a b 小笠原哲男. “「横山武夫と高村光太郎」”. 十和田奥入瀬ろまん新聞. 十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会. 2023年7月12日閲覧。
  3. ^ “チャイム音楽3日から「板柳町民歌」に”. 陸奥新報. (2023年6月30日). http://www.mutusinpou.co.jp/news/2023/06/76552.html 2023年7月12日閲覧。 

関連項目

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