横内城
青森県青森市にあった日本の城
横内城(よこうちじょう)は、青森県青森市横内字亀井にあった日本の城。現在は跡地に常福院が建てられている。別名鏡城・堤城とも言われる。
横内城 (青森県) | |
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別名 | 鏡城、堤城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 南部光康 |
築城年 | 明応7年(1498年) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 堤氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 堀、本丸跡 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯40度46分29秒 東経140度46分06秒 / 北緯40.774831度 東経140.768339度座標: 北緯40度46分29秒 東経140度46分06秒 / 北緯40.774831度 東経140.768339度 |
概要
編集現在の本丸部分からは横内城は東西80m、南北160mの平城であったと推測される。比高は8mと言われる。円形であったといわれるが、現在はっきりしている範囲では楕円形である。ただし、二の丸、三の丸があったとも言われ、それを含めると東西167mに及び、ほぼ円形になるといわれる。現在は堀はほぼ空堀となっているが、かつては横内川に面した崖になっている東側を除き水堀が存在した。南北の堀は幅10mから15m、深さ7mから8mである。西側の堀は幅8m、深さ2mであるが、これは合子沢川が天然の堀をなしていたため、それほど深い堀は不要と考えられたためであると考えられている。遺跡の発掘がさほど行われていない上、当時の資料にも曖昧な点が多く、今なお不明な点が多い城郭である。現在横内城本丸と呼ばれているのは常福院のある場所であるが、その場所は城代が置かれた後に盛土がされた痕跡があり、戦国時代当時からそうであったのかははっきりしない。