権 東哲(クォン・ドンチョル、朝鮮語: 권동철/權東哲1916年1月1日または1月21日 - 2006年11月24日)は、日本統治時代の朝鮮教育者大韓民国公務員政治家青松郡守、第8代義城郡守、第4代達城郡守、参議員などを歴任した[1]

本貫安東権氏朝鮮語版汾谷(プンゴク、분곡)。キリスト教徒[1]

経歴

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日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。同志社大学文学部神学科卒。私立白牙島朝鮮語版学院院長、義城学院院長、米軍政庁人事行政処職員、慶尚北道人事処補任課長、青松郡守、第8代義城郡守(1950年9月24日 - 1951年9月19日)[2]、第4代達城郡守(1951年9月19日 - 1955年8月23日)[3]、慶尚北道農道院長、サムソン中学校長、学校法人サムソン学院理事長、大韓民国憲政会朝鮮語版運営委員などを務めた[1][4]

2006年11月24日、老衰により死去。享年90[5]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年12月28日閲覧。
  2. ^ 의성군 열린시장실” (朝鮮語). www.usc.go.kr. 2024年12月28日閲覧。
  3. ^ 역대군수 | 대구의 미래 달성 꽃피다(대구광역시 달성군)”. 2024年12月28日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年12月28日閲覧。
  5. ^ 권동철 헌정회 회원 별세” (朝鮮語). 서울신문 (2006年11月25日). 2024年12月28日閲覧。