樋口清司
日本の科学技術技官 (1946-)
樋口 清司(ひぐち きよし、1946年 - )は、日本の科学技術技官。宇宙航空研究開発機構副理事長や、国際宇宙航行連盟会長を務めた。
人物・経歴
編集三重県四日市市生まれ[1]。三重県立四日市高等学校を経て[2]、1969年名古屋大学理学部数学科卒業[3]、科学技術庁入庁、宇宙開発推進本部配属。同年の宇宙開発事業団発足時に移籍。1977年マサチューセッツ工科大学航空宇宙学科大学院修士課程修了[4][5]。
H-Iロケットの設計や、国際宇宙ステーション計画などに携わり、宇宙開発事業団企画部で課長や部長を務めたのち[6][5][7]、2003年宇宙航空研究開発機構理事(経営企画担当)。2009年有人宇宙システム副社長[7]。2010年宇宙航空研究開発機構副理事長。2012年国際宇宙航行連盟会長。2015年宇宙航空研究開発機構技術参与[5]。
脚注
編集- ^ 平成29年度四日市こども科学セミナー
- ^ 「指導者養成スキルアップ講座のご案内 」 - 三重県環境学習情報センター ...
- ^ 敗軍の将、兵を語る 樋口清司氏 宇宙航空研究開発機構(JAXA)副理事長 金星探査の挑戦かなわず 日経ビジネス (1574), 98-101, 2011-01-17
- ^ 「樋口 清司」 | 技術経営士の会
- ^ a b c 樋口清司(ひぐち・きよし)前JAXA副理事長 アカデミーヒルズ
- ^ 「宇宙開発に迷い込んで」 名古屋大
- ^ a b 「役員に就いている退職公務員等の状況」 - JAXA