槇島城(まきしまじょう)は、京都府宇治市槇島町にあった日本の城槙島城とも表記される。

概要

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子供が遊ぶ公園内にひっそりと佇む槇島城跡の石碑

かつて南山城宇治近縁には巨椋池という巨大な池沼が存在し、槇島はそこに浮かぶ島であった。この地には真木島氏(槇島氏、槇嶋氏、真木嶋氏、牧島氏など様々な表記あり)という豪族が根を張り、城郭を築いていた。それが槇島城である。

元亀4年(1573年)7月3日、時の公方足利義昭織田信長に対して兵を挙げ、幕府奉公衆であった真木島昭光を頼り、槇島城へ籠城した。だが、信長は即座に入洛し、城を包囲して義昭を屈服させた(槇島城の戦い)。

その後、義昭は河内若江城へ退去させられ、室町幕府は事実上滅んだ。義昭退去後、細川昭元塙直政井戸良弘らが城将となったが、伏見城築城後はその戦略的価値を低下させ、廃城となった。

遺構

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現在は完全に失われており、石碑を残すのみである。

 
槙島城跡近辺の公園内にある槙島城記念碑
「古城を偲ぶ」槇島城顕彰会 2004/08/01

所在

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アクセス

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関連項目

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外部リンク

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