榎田 竹林(えのきだ ちくりん、1898年明治31年) - 1974年昭和49年)[1])は、川柳作家。本名は圭太良[1](または桂太郎[2])。静岡市出身。

榎田竹林
誕生 榎田圭太良
1898年????
静岡市
死没 1974年????
職業 川柳家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 静岡県立静岡中学校
配偶者 榎田柳葉女
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人物・略歴

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1916年大正5年)3月、静岡県立静岡中学校卒業[2]後、教職に就き、のち上京[1]。川柳栗吟社同人として活躍[1]1923年(大正12年)に帰省、静岡川柳社を興す[1]。以後門弟の育成に努め、1966年(昭和41年)4月、静岡県川柳協会会長[1]。その間、静岡刑務所篤志面接委員、静岡新聞NHKの文芸選者などを務め、静岡市教育文化功労者、静岡県文化奨励賞を受賞[1]

静岡市登呂公園に句碑が建ち、後に静岡市常磐公園に移され現在に至っている。夫人は川柳作家の榎田柳葉女(りゅうようじょ)[3]。竹林とともに、おしどり川柳作家として知られた。

月といる窓のひとゝき真人間 竹林
おもいでのどこにもそばにうちの人 柳葉女

著書

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  • 句集鎹 : 榎田竹林夫妻句集 川柳おもいで吟社 1973

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『静岡大百科事典』97頁。 静岡新聞社 昭和53年3月
  2. ^ a b 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 50頁。
  3. ^ コトバンク 20世紀日本人名事典 榎田柳葉女

外部リンク

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