榎本 聡明(えのもと としあき、1939年7月7日[1] - )は日本の原子力技術者。東京電力副社長原子力本部長などを歴任、現顧問工学博士である。

榎本 聡明
えのもと としあき
生年月日 (1939-07-07) 1939年7月7日(85歳)
出生地 大阪府
出身校 東京大学工学部
現職 東京電力顧問
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経歴

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大阪府出身[1]1965年東京大学工学部原子力工学科(現:システム量子工学科)を卒業後、東京電力に入社[2]。入社後、原子炉の設計、原子力発電の企画業務および安全設計の業務に従事するとともに、原子力発電に関する広報業務にも関わる。1984 - 1988年および1990 - 1991年に、東京大学工学部非常勤講師に任じられる。

2004年には社団法人海外電力調査会会長に就任し[3]、少なくとも2009年2月までは現職であった[3](現在は退任している[4]

福島第一原子力発電所には、1970年の1号機の試運転の時を含め4回勤務した[5]

略歴

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  • 1981年、福島第一原子力発電所技術課長[2]
  • 1983年、原子力建設部原子力計画課長
  • 1987年、福島第一原子力発電所技術課長
  • 1994年、原子力業務部部長
  • 1995年、柏崎刈羽原子力発電所
  • 1997年6月、取締役原子力本部副本部長兼技術開発本部副本部長[6]
  • 1999年6月、常務・原子力本部長[7]
  • 2002年5月、副社長・原子力本部長
  • 2004年 社団法人海外電力調査会会長

副社長・原子力本部長であった2002年の時に東京電力原発トラブル隠し事件の責任を取り、当該職を辞した[5]。副社長在任期間はわずか3か月だった。この不祥事が切っ掛けで東京電力の原子力部門(いわゆる原子力村)の実力者が相次いで失脚し、武藤栄が台頭することになる。

人物

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無類のシャクナゲ愛好家で有名。40平米の庭に50株近くの品種を揃えており、愛好家が遠方から訪れるほどである。しかし妻からは「物干し竿が置けない」と不評[8]。 柏崎刈羽原子力発電所に異動になった際もシャクナゲの世話をさせるため、妻を残して単身赴任したほど[9]

発言

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著書

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  • 『わかりやすい原子力発電の基礎知識』(オーム社, 1996年3月, ISBN 4-274-03468-2
    同一書名・版元で、発行月およびISBNコードの異なる著書がある(1996年11月, ISBN 4-274-03482-8)目次構成に大きな変化がみられないため、改訂版と推測される。
  • 『原子力発電がよくわかる本』(オーム社, 2009年3月, ISBN 978-4-274-20671-9)『わかりやすい原子力発電の基礎知識』へ、その後の情勢変化を反映した著書[3]

脚注

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  1. ^ a b 「住民投票結果が問いかけるもの この人に聞く 東京電力常務取締役・原子力本部長 榎本聡明氏」『原子力eye』第9巻第47号、2001年9月、pp.3-5。 
  2. ^ a b 榎本聡明『わかりやすい原子力発電の基礎知識』(第1版)オーム社、1996年3月30日。ISBN 4-274-03468-2。「冒頭の「はじめに」、および、奥付の「著者略歴」の記載」 
  3. ^ a b c 榎本聡明『原子力発電がよくわかる本』(第1版)オーム社、2009年3月30日。ISBN 978-4-274-20671-9。「冒頭の「はじめに」、および、奥付の「著者略歴」の記載」 
  4. ^ 社団法人海外電力調査会 (2010年8月1日). “社団法人 海外電力調査会 役員名簿” (PDF). ディスクロージャー資料. 社団法人海外電力調査会. 2011年5月10日閲覧。 “現職か否かの確認”
  5. ^ a b c 山田大輔 (2011年4月8日). “福島第1原発:「燃料棒除去の着手まで10年」東電顧問”. 毎日新聞. 2011年4月24日閲覧。 “2011-04-08 2:30a.m. (JST)の初出版”
  6. ^ “東京電力(会社人事)”. 日本経済新聞: p. 10. (1997年6月28日) 
  7. ^ “東京電力(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1999年6月29日) 
  8. ^ “榎本聡明さん つつましく、清らかに…(にんげん図鑑)”. 朝日新聞夕刊: p. 7. (2000年4月22日) 
  9. ^ “[ひとプラザ]週1回のシャクナゲ通信 東電柏崎刈羽原発の榎本聡明所長”. 読売新聞: p. 12. (1996年11月10日)