楽子内親王(らくしないしんのう)は、村上天皇の第六皇女。母は女御荘子女王。同母弟に具平親王伊勢斎宮四品

楽子内親王
時代 平安時代中期
生誕 天暦6年(952年
薨去 長徳4年9月16日998年10月9日
位階 四品
父母 父:村上天皇、母:荘子女王
兄弟 承子内親王、理子内親王、保子内親王規子内親王広平親王冷泉天皇致平親王盛子内親王為平親王楽子内親王輔子内親王昭平親王、緝子内親王、資子内親王、昌平親王、円融天皇選子内親王具平親王、永平親王
斎宮 天暦9年7月17日955年8月7日)- 康保4年5月25日967年7月5日
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経歴

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天暦9年(955年)7月17日、4歳で伊勢斎宮に卜定された。天徳元年(957年)9月、伊勢に向けて群行。旅立つ幼い娘に向けて、父村上天皇が詠んだ歌が2首伝わっている.

  • 思ふ事なるといふなる鈴鹿山 越えてうれしき境とぞきく[1]
  • 君が世を長月とだに思はずば いかに別のかなしからまし[2]

また長奉送使として群行に付き添った大叔父の藤原朝忠[3]は、帰京に際し次の1首を詠んだ。

  • よろづ世の始とけふをいのりおきて 今行末は神ぞしるらむ[4]

康保4年(967年)5月25日、村上天皇崩御により退下。在任12年。長徳4年(998年)9月16日薨去。47歳。

脚注

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  1. ^ 『拾遺和歌集』第九雑下
  2. ^ 『拾遺和歌集』第六別
  3. ^ 母荘子女王の母の兄弟。
  4. ^ 『拾遺和歌集』第六賀

参考文献

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