楠瀬 正太郎(くすのせ まさたろう[1]1915年3月[2] - 没年不明)は、日本の都市計画研究者

経歴

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高知県出身[2]。旧制第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)から第三高等学校を経て1940年に東京帝国大学工学部卒業。1961年工学博士(東京大学)。

建設省計画局首都圏整備委員会事務局計画第一部第一調整官、新都市センター開発顧問、日本都市計画学会会長等を歴任し、戦災復興都市計画筑波研究学園都市多摩ニュータウンなどの計画に携わる[3][4]

出典

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  1. ^ 博士論文 - 市街地の立体的改造方式に関する研究
  2. ^ a b 『日本官界名鑑 第22版』(日本官界情報社、1970年)p.344
  3. ^ 楠瀬正太郎「研究学園都市について」『首都圏研究』 29 号, 1965年 76
  4. ^ 楠瀬正太郎「研究.学園都市の計画過程」新都市 39

参考文献

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  • 学術月報 - 第 19 巻、第 10~12 号、第 19 巻、第 10 号 - 588 ページ 1967
  • 田中孝 (1985) 物語・建設省営繕史の群像 - 第 2 巻
  • 建設省計画局編:『都市計画』(セメント協会, 1953 年 12 月)
  • 初田香成(2011)都市の戦後: 雑踏のなかの都市計画と建築