楠基道
教育者、政治家
楠 基道(くすのき もとみち、1881年6月9日[1] - 1967年2月25日[2])は、日本の僧侶、政治家。衆議院議員(1期)。龍谷大学教授。
経歴
編集岐阜県出身[2]。1907年、東京帝国大学史学科卒。京都帝国大学大学院に進み、西蔵史を研究する[2]。龍谷大学教授兼図書館長[3]、山東省済南高等師範学校教授[3]、台北高等女学校教諭兼台北高等商業学校教授[2]、台南第二、第一の各高等女学校校長を経て、台湾総督府在外研究員として欧米各国に留学する[2]。帰国後、台北高等学校、台北高等商業学校各教授、台北第一中学校校長を歴任する[2]。仏教更新社を創立、社主となり、月刊紙「更新」を発行した[3]。
1932年の第18回衆議院議員総選挙において岐阜2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した[4]。1936年の第19回衆議院議員総選挙に出馬しなかった。のち大野町教育委員会委員長となった。1967年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。