植松京
植松 京(うえまつ みやこ、植松 京一、うえまつ きょういち、 1870年11月10日〈明治3年10月17日〉 - 1922年(大正11年)4月[1])は、明治から大正期の実業家[2][3]。三菱造船常務取締役、三菱商事取締役、三菱海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)取締役[4]。
人物・経歴
編集1870年11月10日(明治3年10月17日)、植松有經(有経)の長男として東京府で生まれる[2]。
実業を志し、立教学校(現・立教大学)に入学し英学を修めて[5]、その後、米国に留学[2]。
帰国後、三菱合資会社に入社し、同造船部副部長を務めたほか[2]、同鉱業部副長も務めた[6]。
明治期において、三菱の幹部として九州鉄道の株式を多く所有した[7]。
1917年(大正6年)に、三菱造船常務取締役に就任[3][4]。
そのほか、三菱商事取締役、三菱海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)取締役も務めた[4]。
親族
編集- 弟・植松健[8] - 植松有經の四男、湯淺木材専務取締役、小樽木材倉庫取締役
- 妻・ヲモト - 広島、吉田弘蔵の長女
- 娘・道子
- 養子・植松信造 - 旧名:松平信造、松平正存の子
脚注
編集- ^ 渋沢社史データベース 『東京海上八十年史』 東京海上火災保険(株) 1964.04
- ^ a b c d 名古屋大学大学院法学研究科 『植松京』 人事興信録データベース,第4版,大正4(1915)年1月
- ^ a b 閨閥学 『植松家(東京都)』
- ^ a b c 坪根 明子「史料紹介『内規大全』」『三菱史料館論集』第2014巻第15号、公益財団法人 三菱経済研究所、2014年、189-219頁、ISSN 2758-8440。
- ^ 立教史データベース 『校友会・校友消息』 立教学院学報第4号,1909年12月15日
- ^ デジタル版・渋沢栄一伝記資料 『米国艦隊歓迎 演芸梗概』 第7巻 p.116-120
- ^ 東條 正「明治期における三菱の株式・債券投資活動と経営多角化」『経営と経済』第80巻第4号、長崎大学経済学部・経済学研究科、2001年3月、31-75頁、ISSN 02869101。
- ^ 名古屋大学大学院法学研究科 『植松健』 人事興信録データベース,第8版,昭和3(1928)年7月]