植村家長
日本の江戸時代後期の大名
植村 家長(うえむら いえなが)は、江戸時代中期の大名、老中格。大和高取藩9代目藩主。官位は従四位下、駿河守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦3年5月21日(1753年6月22日) |
死没 | 文政11年10月12日(1828年11月18日) |
官位 | 従四位下、駿河守 |
幕府 | 江戸幕府老中 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 大和高取藩主 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村家道、養父:植村家利 |
兄弟 | 家久、家長、佐野義行、家利、要之助、隼太、愛宕通直室、愛宕通真室、三浦為脩室 |
妻 | 正室:松平忠恕の娘 |
子 | 家教、家貴、加納久慎正室、小笠原長禎継室、松平勝升正室 |
生涯
編集第6代藩主植村家道の次男として生まれたが弟で第8代藩主の家利の急死により、家長が養子となって家督を相続した。
幕府では47歳より久しく若年寄を勤め、72歳にして特に老中格となって老中待遇を受けた。在職のまま死去した。老中在職は文政8年(1825年)4月18日から文政11年(1828年)10月12日。老中就任とともに4500石の加増を受けている。家長死後、家督は長男の家教が相続した。