森 鳳聲(もり ほうせい、1867年 - 1933年)は明治時代から昭和時代初期に活躍した彫刻家である。

岡倉天心会頭とした日本彫刻会を立ち上げた6人の初期メンバーの一人である[1]。近代彫刻の発展に尽力した。

人物や動物の作品を多く手掛け、その写実性は近代彫刻の中でも随一の腕を持ち、数々の展覧会でも受賞を重ねている。

知名度こそ同年代の山崎朝雲平櫛田中に敵わないが、彫刻技術はそれを上回る力量を持つとも言われている。

生涯

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1867年(慶応3年)丹後国舞鶴町(現・京都府舞鶴市)に生まれる。通称磯雄

1900年(明治33年)パリ万国博覧会に『農夫』『小原女』を出品、銅牌を受賞

1904年(明治37年)セントルイス万国博覧会に『置物千種忠顕像』を出品

1907年(明治40年)日本で最初の本格的彫刻団体「日本彫刻会」を米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中、加藤景雲、滝澤天友とともに立ち上げ、1908年(明治41年)に第一回展を行う

1910年(明治43年)日英博覧会に『藤原春津卿遊技三昧』『相如題柱』を出品、『藤原春津卿遊技三味』が銅賞を受賞

1918年(大正7年)第59回日本美術協会展に『木彫置物題白馬銀鞍』を出品、銀牌を受賞

1933年(昭和8年)68歳で死去

参考文献

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脚注

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