森 肇(もり はじめ、1873年明治6年)10月11日[1] - 1959年昭和34年)10月28日[2])は、日本の衆議院議員政友本党立憲民政党立憲政友会昭和会)、農林参与官ジャーナリスト

森肇

経歴

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長崎県北松浦郡御厨村(現在の松浦市)出身。小学校教員を経て、1901年(明治34年)に東京専門学校政治経済科を卒業[1]。長崎新報記者、長崎日日新聞記者、同編集長、長崎新聞主筆、同専務取締役を歴任した[3]。また長崎県会議員、同参事会員に選ばれた[1][3]

1924年大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回衆議院議員総選挙に至るまで6回当選を果たし、その間岡田内閣で農林参与官を務めた。 1935年(昭和10年)には昭和会の結党に参加している[4]

戦後、公職追放となった[5]

その他、佐世保鉄道株式会社取締役、平戸島電灯株式会社取締役[1]大日本水産会理事[6]を務めた。

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録』第10版
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b 『早稲田大学紳士録』p.853
  4. ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、367頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『人事興信録』第14版

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。