森 由己雄(もり ゆきお、1892年明治25年)9月24日[1]1955年昭和30年)8月6日[2]) は、大正から昭和期の弁護士政治家衆議院議員宮崎県西諸県郡小林町長。由雄と表記される場合がある[3]

森 由己雄
もり ゆきお
生年月日 1892年9月24日
出生地 日本の旗 日本 宮崎県西諸県郡小林村
没年月日 1955年8月6日
出身校 東京帝国大学法科大学法律学科卒業
所属政党 (立憲政友会→)
日向民主党→)
協同民主党→)
国民協同党

選挙区 宮崎県全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年 - 1947年
テンプレートを表示

経歴

編集

宮崎県[2]西諸県郡小林村[4](小林町を経て現小林市)で、森長興[注釈 1]の長男として生まれた[4][3]。旧制宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)、第七高等学校造士館を経て[5]、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][4][3]

司法官試補に任官し東京地方裁判所で勤務[2][4][3]。1921年(大正10年)弁護士を開業した[2][4][3]。宮崎市会議員、宮崎県会議員、小林町長に在任[2][4][3]。その他、小林町農会長、同農業会長なども務めた[2][4][3]

1936(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から立憲政友会公認で立候補したが落選[6]。戦後、1946(昭和21年)4月の第22回総選挙に宮崎県全県区から日向民主党公認で出馬して当選し[4][7]、衆議院議員に1期在任した[2][4]。この間、協同民主党常任中央委員、国民協同党中央常任委員などを務めた[2][4]

衆議院議員・閣僚を務めた小山長規は実弟[5]

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 宮崎県会議員を務め県西政界の重鎮。『宮崎県政外史』636頁。

出典

編集
  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、33頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』652頁。
  3. ^ a b c d e f g 「森由巳雄」『人事興信録 第15版 下』モ10頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『宮崎県政外史』636頁。
  5. ^ a b 小林市史編纂委員会 編『小林市史 第2巻』国書刊行会、885-886頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』593頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1731頁。

参考文献

編集
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。