森田宏幸

日本のアニメーター、アニメ監督

森田 宏幸(もりた ひろゆき、1964年6月26日 - )は、日本アニメーターアニメ演出家監督

もりた ひろゆき
森田 宏幸
プロフィール
本名 森田 宏幸(もりた ひろゆき)
生年月日 (1964-06-26) 1964年6月26日(60歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県
出身校 福岡県立筑紫高等学校
福岡大学工学部機械工学科
職業 アニメーター
アニメ演出家監督
活動期間 1987年 -
ジャンル アニメーション
代表作GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎
(絵コンテ・演出)
猫の恩返し』(監督)
ぼくらの』(監督・絵コンテ・演出・原画)
公式サイト 森田宏幸のブログ
その他 日本アニメーター・演出協会理事(2011年 - 2015年)
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略歴

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福岡県出身。福岡県立筑紫高等学校卒業。高校時代に製作した自主制作漫画映画『ガラスわり少年』で、当時アニメ雑誌の作品コンテストなどで賞を取った経歴をもつ。この時のメンバーに、漫画家のとだ勝之がいる。

福岡大学工学部機械工学科卒業後、アニメーション制作会社シャフトに入社、アニメーターとしての初作品は『陽あたり良好!』。その後、フリーとなって、『AKIRA』『魔女の宅急便』などで動画、さらに『老人Z』『走れメロス』『MEMORIES』『パーフェクトブルー』など多数の作品で原画を担当し、OVAGOLDEN BOY』では演出も行った。

基本を大切にするアニメーターであり、『パーフェクトブルー』ではアイドルの振り付けを自ら踊ったりもしている。

スタジオジブリ作品では他に『となりの山田くん』、三鷹の森ジブリ美術館の短編『コロの大さんぽ』に参加。これがきっかけで『猫の恩返し』の監督に抜擢される。

2007年『ぼくらの』で初のテレビシリーズの監督をつとめる。

2011年2月27日、総会理事選挙にて一般社団法人日本アニメーター・演出協会理事に選任[1]。約4年間理事をつとめた後、2015年6月に退任。

2017年までデジタルアニメーション制作会社ポリゴン・ピクチュアズに所属し、デジタル作画をテーマにしたフォーラム・ACTF(エーシーティーエフ)の運営にも携わった[2]

2017年半ばに制作会社ポリゴン・ピクチュアズ退社。現在はフリーで活動している。

不祥事

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アニメ版『ぼくらの』ブログ問題

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アニメ版『ぼくらの』を制作時に、森田は自分のブログにおいて進捗状況の報告や、放映された回についての質疑応答などを行っており、視聴者から批判、応援、質問等さまざまなコメントが寄せられていた。

その中で森田は、「私自身が原作を嫌いで、アニメーション化にあたり、ある意味原作に悪意を持った改変を加えていることを認めます」といった発言を行った[3]。それに対し視聴者から、アニメ版『ぼくらの』に対する作品批判にとどまらず、森田自身に対する批判も数多く投稿された。

DJ SODAの性被害についての二次加害問題

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2023年8月13日に開催されたMUSIC CIRCUS'23に出演したDJ SODAが観客から性的被害を受けた件(DJ SODA#性犯罪被害)に対して、8月19日にX(旧Twitter)にて「DJ SODAの言ってる性被害って、公開型のつつもたせなのだろう。誘惑されて仲良くしていたら、あとから怖い人が出てくるという。音楽フェスの主催者は、彼女の芸に加担しないことだ」と投稿した[4][5]。これは性犯罪の2次加害であるとして日韓のメディア・ネットユーザーから批判が相次ぎ、森田は21日10時までに投稿を削除した[6][7][8]。同月25日、被害者に不適切な表現だったとして本人や関係者に謝罪し、今後は考えを改め自制に努めると語った[9]

参加作品

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テレビアニメ

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1987年
1989年
1996年
1998年
2003年
2004年
2006年
2007年
2008年
2009年
2011年
2012年
2014年
2015年
2016年
  • 亜人(ストーリーボード)
2017年
2018年
2020年
2021年
2023年
2024年

劇場アニメ

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1988年
1989年
1991年
1992年
1995年
1998年
1999年
2002年
2004年
2006年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2017年
2018年
2019年
  • 二ノ国(助監督・絵コンテ・演出)

脚注

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外部リンク

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