森戸村
日本の茨城県猿島郡にあった村
森戸村[1][2](もりとむら)は茨城県猿島郡にかつて存在した村である。現在の茨城県境町の南部に位置する。
もりとむら 森戸村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月16日 |
廃止理由 |
新設合併 境町、森戸村、静村、長田村、猿島村 → 境町 |
現在の自治体 | 境町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 猿島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
岩井町、富里村、猿島村、境町 千葉県 |
森戸村役場 | |
所在地 | 茨城県猿島郡森戸村 |
座標 | 北緯36度04分30秒 東経139度49分10秒 / 北緯36.07511度 東経139.81936度座標: 北緯36度04分30秒 東経139度49分10秒 / 北緯36.07511度 東経139.81936度 |
ウィキプロジェクト |
村の南部には利根川が流れている。
歴史
編集- 森戸村は、幸島荘石井郷に属していたといわれる[2]。
- 1869年(明治2年) - 関宿藩支配となる[2]。
- 1872年(明治5年) - 印旛県管轄となる[2]。
- 1873年(明治6年) - 千葉県に属する[2]。
- 1875年(明治8年) - 茨城県管轄となる[2]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、伏木村・一ノ谷村・百戸村・若林村が合併し猿島郡森戸村が成立する。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 千葉県東葛飾郡二川村大字新田戸及び桐ヶ作の一部を分割して本村に編入し、六大字とする[2]。
- 1916年(大正5年) - 森戸村伏木に茨城県最初の小作組合が結成される[3]。
- 1947年(昭和22年)9月16日 - カスリーン台風による豪雨で、中川村の利根川堤防が決壊。森戸村も大部分が浸水する被害を出した[4]。
- 1955年(昭和30年)3月16日 - 境町・森戸村・静村・長田村・猿島村が合併し、境町が発足。森戸村は消滅。
行政
編集村長
編集歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 長野泰一郎 | 1889年(明治22年)5月7日 | 1891年(明治24年)6月30日 |
2 | 倉持伝次郎[5][6] | 1891年(明治24年)10月30日 | 1895年(明治28年)10月29日 |
3 | 田村徳蔵 | 1895年(明治28年)10月28日 | 1897年(明治30年)3月30日 |
4 | 佐怒賀政一 | 1897年(明治30年)10月1日 | 1901年(明治34年)10月1日 |
5 | 佐怒賀政一 | 1901年(明治34年)10月19日 | 1905年(明治38年)10月18日 |
6 | 長野泰一郎 | 1905年(明治38年)11月7日 | 1909年(明治42年)11月6日 |
7 | 田村徳蔵 | 1909年(明治42年)11月10日 | 1910年(明治43年)11月29日 |
8 | 長野泰一郎 | 1911年(明治44年)2月28日 | 1912年(明治45年)4月8日 |
9 | 倉持伴一郎 | 1913年(大正2年)2月26日 | 1914年(大正3年)11月27日 |
10 | 佐怒賀修一郎 | 1915年(大正4年)1月13日 | 1919年(大正8年)1月12日 |
11 | 佐怒賀修一郎 | 1919年(大正8年)1月13日 | 1923年(大正12年)1月12日 |
12 | 佐怒賀亀次郎 | 1924年(大正13年)1月16日 | 1926年(大正15年)11月26日 |
13 | 中村和吉 | 1926年(大正15年)3月1日 | 1929年(昭和4年)1月5日 |
14 | 中村雄太 | 1929年(昭和4年)11月15日 | 1933年(昭和8年)1月14日 |
15 | 佐怒賀修一郎 | 1933年(昭和8年)1月20日 | 1937年(昭和12年)1月19日 |
16 | 田村武男 | 1937年(昭和12年)1月20日 | 1941年(昭和16年)1月19日 |
17 | 田村武男 | 1941年(昭和16年)1月20日 | 1945年(昭和20年)1月19日 |
18 | 中村富寿 | 1945年(昭和20年)1月20日 | 1946年(昭和21年)11月27日 |
19 | 中村栄三郎 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1951年(昭和26年)4月5日 |
20 | 中村栄三郎 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1955年(昭和30年)3月15日 |
助役
編集助役は以下の通りである。
収入役
編集収入役は以下の通りである。
- 長野忠太郎[1]
政治
編集1893年に刊行された『茨城県官民必携 下巻』によると、村会議員は以下の通り[5]。
- 長野泰一郎、長野兼七、小嶋惣太郎、田村三松、佐怒賀元治、海老原善平、岡崎倉七、染谷周治、中村藤平、鈴木席之、倉持辰五郎、野口万七
経済
編集産業
編集- 農業
- 商工業
『下総六郡名家鑑 北相馬・豊田・岡田・猿島・結城・西葛飾』によると、荒物商の中村、醤油醸造業の佐怒賀、菓子製造小売営業の広瀬などがいた[6]。
人口
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 『市町村治績録 改訂第2版』茨城県46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『茨城県市町村合併史』1262 - 1264頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月8日閲覧。
- ^ “境町のあゆみ” (pdf). p. 4. 2022年3月2日閲覧。
- ^ 濁流呑むニケ村『朝日新聞』昭和22年(1947年)9月17日、4版、1面
- ^ a b c d 『茨城県官民必携 下巻』217頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c 『下総六郡名家鑑 北相馬・豊田・岡田・猿島・結城・西葛飾』森戸村166 - 168頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月6日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』339頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月2日閲覧。
- ^ 『大日本蚕業家名鑑 正』茨城県104頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年1月7日閲覧。
参考文献
編集- 高田捨吉編『茨城県官民必携 下巻』清水勝ほか、1893年。
- 宮内亀松、吉見季賢編『下総六郡名家鑑 北相馬・豊田・岡田・猿島・結城・西葛飾』弘文社、1894年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 扶桑社編『大日本蚕業家名鑑 正』扶桑社、1913 - 1917年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 『茨城県市町村合併史』茨城県総務部地方課、1958年。