森忠貫
森 忠貫(もり ただつら)は、江戸時代後期の播磨国赤穂藩の(一人目の)10代藩主。赤穂藩森家実質16代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化13年閏8月13日(1816年10月4日) |
死没 | 文政10年5月28日(1827年6月22日) |
改名 | 勝蔵、忠貫 |
戒名 | 顕良院殿鶴山伯一童子 |
墓所 | 東京都港区東麻生の瑠璃光寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 播磨赤穂藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 森忠敬 |
兄弟 | 忠貫、正綽、忠徳、青木可寿、新田貞時、森可彝室 |
略歴
編集文化13年(1816年)閏8月13日、9代藩主・森忠敬の長男として誕生。幼名は勝蔵。父が文政7年(1824年)6月4日に死去したため、8月5日に家督を継いだ。文政9年(1826年)4月19日に江戸本所の御蔵火番に任じられた。
文政10年(1827年)5月28日に死去した。享年12。戒名は顕良院殿鶴山伯一童子。墓所は東京都港区東麻生の瑠璃光寺。
忠貫には継嗣が無く、改易や減封を恐れた藩では、弟の忠徳を身代わりにして立て、忠貫没後の6月に家督を継がせたとある。このため、忠貫は歴代藩主として数えられず、後に忠貫が忠徳と改名したとされているため、10代藩主の忠貫と忠徳は同一人物とされている(森家譜より)。