森島 庫太[1](もりしま くらた、1868年4月29日明治元年4月7日) - 1943年昭和18年)3月18日)は、日本医学者京都帝国大学医学部教授。

森島 庫太
森島庫太近影(古希記念アルバムより。1937年頃)
人物情報
生誕 (1868-04-29) 1868年4月29日
日本の旗 日本岐阜県
死没 1943年3月18日(1943-03-18)(74歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 医学
研究機関 京都帝国大学
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経歴

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医師・森島玄仙の長男として1868年に美濃国(現・岐阜県)で生まれる。1893年東京帝国大学医科大学を卒業。薬物学教室の高橋順太郎教授のもとで助手として採用される。1896年よりドイツベルギーに留学しストラスブール大学(当時ドイツ領)でシュミーデベルク教授に師事した他、ライプチヒ大学ゲント大学で研究に携わる。

1899年、京都帝国大学医科大学助教授に任じられ、1900年 帰国と同時に薬物学第一講座教授となる[2]。1925年7月21日-1928年4月21日の間医学部長[3]をつとめた後、1928年退官し、名誉教授となった。1932年帝国学士院会員。1943年逝去[2]。 享年74。墓所は京都・大徳寺高桐院(非公開)。

家族・親族

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主な論文

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  • Kurata Morishima, Über Harnsekretion und Glykosurie nach Vergiftung mit Protocurarin und Curarin. Archiv f. experim, Pathol. u. Pharmacol., 52, 28 (1899).(プロトクラーレクラーレ中毒後の尿産生と糖尿について)
  • Kurata Morishima, Über das Vorkommen der Milchsäure im thierischen Organismus mit Berücksichtigung der Arsenvergiftung. Archiv f. experim. Pathol. und Pharmakol., 43, 3-4 (217) (1899).(ヒ素中毒を考慮した動物器官での乳酸産生について)

そのほか、漢方薬石蒜塩基リコリンなど多数の生薬の有効成分を同定し、その薬理学的作用機序を明らかにした[4]

著書

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  • 『薬物学』(南江堂書店、1912年)
  • 『処方学』(南江堂書店、1917年)

脚注

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  1. ^ 「森島」は略字、戸籍上は「森嶋」。
  2. ^ a b 戸田正三 (1943). “森島庫太先生の逝去を悼み奉る”. 同仁会医学雑誌 17: 別冊. 
  3. ^ 京都大学医学部 歴代医学部長
  4. ^ コトバンク