森岡健二
森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11日[1] - 2008年〈平成20年〉3月27日)は、日本の国語学者、上智大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1912年6月11日 日本・宮城県栗原郡 |
死没 |
2008年3月27日(95歳没) 日本 |
国籍 | 日本 |
学問 | |
時代 | 昭和・平成 |
研究分野 | 日本語学 |
研究機関 |
国立国語研究所 東京女子大学 上智大学 国語審議会 |
主な業績 |
近代語研究における方法論の提示 日本語文法の記述的研究 |
主要な作品 | #著書 |
来歴
編集宮城県栗原郡生まれ[1]。教員だった父の転勤で山形県、佐賀県に移り、佐賀高等学校を経て、1940年東京帝国大学国語国文学科卒[1]。大学院に進むが[1]、兵役のため1945年に退学[2]。満洲勤務を経て1946年に広島高等学校教授[2]、1949年に国立国語研究所所員[2]、1953年に東京女子大学助教授[2]、1958年に同教授[2]。1970年に上智大学教授[2]、1988年に定年退職、名誉教授。学外では、国語審議会委員をたびたび務めた[3]。
業績
編集近代語の成立に関して、英華辞典や英和辞典における訳語を方法の変遷から調査し、それを中村正直や西周などの翻訳や聖書和訳と対照することで、それぞれの果たした役割を明らかにした[4]。また、学術用語の翻訳法を日本語における漢字の機能の点から分析し、訳語の定着度と関連付けた[4]。
近代の語法・文体に関しては、言文一致を支える基盤として「汎共通語」を提唱し、中世以降の口語系資料に共通して用いられ続ける実態に迫った[4]。その体系は不特定多数に向けた伝達に主眼を置くもので、森岡は「場に制約されない文字言語によって支えられる」という立場を取った[4]。
文法論に関しては、アメリカの記述主義言語学が出発点であるが、詞辞論においては松下大三郎、統語論においては橋本進吉の影響も指摘される[5]。
このほかに沖縄文学の研究もある。
著書
編集単著
編集- 『話しコトバの効果』光風出版 1957 (話しことば新書)
- 『文章構成法 文章の診断と治療』至文堂 1963
- 『沖縄の文学』東海大学出版会 1967
- 『語彙の形成』明治書院 1987.6 (現代語研究シリーズ ; 第1巻)
- 『文字の機能』明治書院 1987.11 (現代語研究シリーズ ; 第2巻)
- 『文法の記述』明治書院 1988.2 (現代語研究シリーズ ; 第3巻)
- 『ことばの教育』明治書院 1988.3 (現代語研究シリーズ ; 第4巻)
- 『文体と表現』明治書院 1988.7 (現代語研究シリーズ ; 第5巻)
- 『日本文法体系論』明治書院 1994.7
- 『欧文訓読の研究 欧文脈の形成』明治書院 1999.2
- 『要説日本文法体系論 』明治書院 2001.12
- 『日本語と漢字』明治書院 2004.5
- 『ことだまのおぼつかなさに ことばという対象をめぐって』大空社 2008.3
共編著
編集- 『人間を支配することばのマジック ゼネラルセマンティックス』至文堂 1966
- 『近代語の成立 明治期語彙編』明治書院 1969
- 『講座正しい日本語』全6巻 永野賢,宮地裕共編 明治書院 1970-71
- 『言語と人間』藤永保共著 東海大学出版会 1970
- 『小学校における文章構成法 基礎篇』光文書院 1971
- 『現代作文講座』全8巻 林大,林四郎共編 明治書院 1976―77
- 『明治期専門術語集』有精堂 1985.9
- 『命名の言語学 ネーミングの諸相』山口仲美共著 東海大学出版会 1985.9
- 『近代語の成立 文体編』明治書院 1991.10
- 『集英社国語辞典』共編 集英社 1993.2
翻訳
編集- 『日本語読本』1(翻訳・解説) ヘルマン・プラウト 志村哲也共訳 大空社 2006.3
脚注
編集参考文献
編集- 「森岡健二教授略歴・著作目録」『上智大学国文学論集』第21巻、上智大学国文学会、1988年1月、5-26頁。
- 服部隆「新日本語学者列伝:森岡健二」『日本語学』第32巻第6号、明治書院、2013年5月、92-99頁。
- 服部隆「森岡健二」『日本語学』第39巻第1号、明治書院]、2020年3月、94-97頁。