森山酒造 (愛知県)
森山酒造(もりやましゅぞう)は、愛知県北設楽郡東栄町大字本郷字森山1にある造り酒屋。森山酒造場(もりやましゅぞうじょう)とも呼ばれる。代表銘柄は「蜂龍盃」(はちりゅうはい)[1]。創業は元禄年間(1688年~1703年)[2]。
種類 | 個人事業者 |
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本社所在地 |
日本 〒449-0214 愛知県北設楽郡東栄町大字本郷字森山1 |
設立 | 元禄年間(1688年~1703年) |
業種 | 食料品 |
事業内容 | 酒造業 |
代表者 | 湯浅敬介 |
歴史
編集江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)に創業したが、詳細な歴史が記された資料は残存していない[2]。
天保3年(1832年)から天保8年(1837年)には奥三河の振草郷(現在の愛知県北設楽郡東栄町)で議定論騒動(ぎじょうろんそうどう)と呼ばれる争いがあったが、森山酒造4代目当主の湯浅武八はこの争いの解決に尽力し、その経緯を『議定論日記』にまとめた[3]。2016年(平成28年)には『議定論日記』が10代目当主の湯浅康平から東栄町教育委員会に寄贈されている[3]。2018年(平成30年)には東栄町出身の裁判所事務官・書記官である山本正名によって、『議定論日記』を翻刻した『江戸の裁判』(風媒社)が刊行されている。
1965年(昭和40年)頃までは蒲郡市出身の三河杜氏が杜氏を務めていたが、1999年(平成11年)時点では越後杜氏が製造にあたっている[2]。長らく吟醸酒を製造していなかったが、1989年(平成元年)頃からは技術研鑽の意味合いも込めて吟醸酒を製造している[2]。
東栄町で活動する地域おこし協力隊員が森山酒造に感銘を受け、2019年(令和元年)には森山酒造の日本酒を石鹸に練り込んだ「蜂龍盃純米酒石鹸」が販売された[4][5]。
特色
編集愛知県でもっとも奥地にある酒蔵である[7]。奥三河に残る酒蔵は森山酒造と設楽町の関谷醸造の2蔵のみである。愛知県酒造組合には加盟していない。東栄町はふるさと納税の返礼品のひとつに森山酒造の「蜂龍盃」を選定している[8]。
東栄町駒久保地区にある天竜川水系の湧き水を仕込み水に使用している[2]。1999年(平成11年)時点の製造量は年間約300石[2]。消費先は愛知県内が95%とされ、主に東栄町と新城市鳳来地区で消費される[2]。酒米(酒造好適米)は山田錦や若水を用いている[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 横田俊尚『愛知の地酒』丸善、1999年
関連項目
編集外部リンク
編集- 森山酒造 奥三河観光ナビ
- 森山酒造 東栄町のじかん
- HINEMOS×創業300年、森山酒造の挑戦。愛知から小田原への酒蔵移転
- 公式HP