森みつ
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2011年12月) |
来歴
編集幼い頃、事業に失敗した父と生別。札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)を卒業し、教員を経て、北海道農業会、食糧公団などに勤務。1941年、処女作『雪の哀願』を更科源蔵の推薦で『北方文芸』に掲載。その後も北海道で太平洋戦争の敗戦まで同人誌『木雫』を発刊して作品を発表。1943年、詩集『花咲きぬ』を出版し高い評価を集める。この頃結婚して阿部姓を名乗るが夫は戦死。戦後は詩誌『至上律』『野性』『核』に参加。1952年再婚して森姓となり、夫の任地・日高管内の新冠町へ移り詩作を続ける。1960年、『北海道讃歌』の歌詞に応募。首席当選し、伊福部昭が作曲した。新冠町郷土資料館前にこの『北海道讃歌』の詩碑がある。また、この間、北海道婦人団体連絡協議会常任理事、日高婦人団体連絡協議会会長などを務めた。没後の1968年、詩集『微笑思慕』が刊行された。
詩集
編集- 微笑思慕(昭森社、1968年)
参考文献
編集- 日外アソシエーツ『日外アソシエーツ現代人物情報』