梶浦 銀次郎(かじうら ぎんじろう、1896年明治29年)8月6日[1] - 1976年昭和51年)6月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

編集

京都府出身[1][2]1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校第26期卒業[3]

1940年(昭和15年)8月、陸軍歩兵大佐に進級と同時に関東軍司令部附となる[2]1941年(昭和16年)3月、歩兵第231連隊長に補され[2]支那事変に出征し宜昌の警備に当たった[1]1945年(昭和20年)3月1日、陸軍少将に進み、同月29日、歩兵第97旅団長に転補され、当陽で警備に当たる中終戦を迎えた[1]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e 福川 2001, 205頁.
  2. ^ a b c 外山 1981, 363頁.
  3. ^ 外山 1981, 348頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。

参考文献

編集
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738