梶居勝志
日本のサッカー選手
梶居 勝志(かじい かつし、1963年7月11日[3] - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカークラブのフロントスタッフ。ガンバ大阪施設管理担当部長。
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名前 | ||||||
本名 | 梶居 勝志 | |||||
カタカナ | カジイ カツシ | |||||
ラテン文字 | KAJII Katsushi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1963年7月11日(61歳) | |||||
出身地 | 鹿児島県[1] | |||||
身長 | 178cm[2] | |||||
体重 | 72kg[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1979-1981 |
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1982-1985 |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1992 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集鹿児島実業高等学校[3]、大阪商業大学[3]を経て、1986年[1]にガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に加入した[3]。JSL1部での通算成績は102試合出場12得点24アシスト[4]。これは松下においては永島昭浩(107試合出場)に次ぐ試合出場数であり、アシスト数では通算1位である[4]。松下電器が初めて主要タイトルを獲得した1990年度の天皇杯では、日産と対戦した決勝戦でPK戦の最後のキッカーを担当した[5]。
引退後は社業に復帰し、松下電池工業の人事部門に配属された[6]。しかし再びサッカーに携わる仕事に就きたいと考え、松下を退社して1995年[3]よりガンバ大阪のスタッフに転じる[6]。まず幼稚園児から小学生を対象とするスクールのコーチとして週3日のアルバイトという形で加わり[6]、それから1年ほど経ち正社員として強化部のスタッフに登用された[6]。
2012年3月、長年にわたりG大阪の強化本部長を務めていた山本浩靖の辞任にともない強化本部長に昇格した[7]。
2018年8月8日、強化部を外れ、新設された施設管理担当部長に配置転換された[8]。
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | 松下 | JSL1部 | |||||||||
1987-88 | JSL2部 | ||||||||||
1988-89 | JSL1部 | ||||||||||
1989-90 | |||||||||||
1990-91 | |||||||||||
1991-92 | |||||||||||
1992 | G大阪 | - | J | - | 1 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 1 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 102 | 12 | ||||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 |
出典
編集- ^ a b 「'86~'87日本リーグ1部名鑑」 『イレブン』 日本スポーツ出版社、1986年12月号、23-24頁。
- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992、61頁。
- ^ a b c d e 『2014 Jリーグ ガンバ大阪優勝記念号』 日本スポーツ企画出版社、2014年、50頁。
- ^ a b 『日本サッカーリーグ全史』 日本サッカーリーグ、1993年、253-254頁。
- ^ 『日本サッカーリーグ・イヤーブック '91-'92』 南雲堂、1991年、165頁。
- ^ a b c d 田中直希 『Jクラブ強化論』 ぱる出版、2013年、67-90頁。
- ^ 「コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について」『J’s GOALアーカイブ』、Jリーグ、2012年3月26日 。2017年1月24日閲覧。
- ^ 「強化体制変更のお知らせ」『ガンバ大阪』2018年8月8日 。2018年8月8日閲覧。