梨園(りえん)とは中国宮廷音楽家養成所である。日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた封建・特殊社会として、かつての歌舞伎俳優の社会を差別的に表す。

由来

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語の由来は、玄宗の初年(712年)に、唐都長安西北郊の西内苑内で、芸人達をが植えられている梨園と称される庭園に集め、音楽教習府と呼ばれる施設で芸を磨いたことに始まる。音楽教習府には、太常寺太楽署所属の楽人で、坐部伎の楽人子弟、教坊妓女、宮女の一部とが属した。玄宗の嗜好する法曲を、皇帝が直々に教えたため、皇帝梨園弟子と称された。

安史の乱で宮廷の音楽も壊滅して衰退したが、その後再興され、838年には法曲を仙韶曲と改め、梨園を仙韶院と改めた。後、唐末の動乱によって、消滅した。

代以後の中央劇壇に対しても、梨園という名称が用いられる。