梅田岩樹
大日本帝国陸軍軍人
梅田 岩樹(うめだ いわき、明治5年9月16日(1872年10月18日) - 1939年(昭和14年)7月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
梅田 岩樹 | |
---|---|
生誕 |
1872年10月18日 日本 福岡県 |
死没 | 1939年7月8日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1895年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集福岡県出身[2][3]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[2][3]。
1915年(大正4年)2月に沖縄警備隊区司令官を経て、1916年(大正5年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第71連隊長(第5師団)に任官[2][3]。シベリア出兵に参戦し、ウスリー沿線の掃討戦を経てザバイカルへ進軍した[3]。
その後、1920年(大正9年)8月に陸軍少将・歩兵第9旅団長を経て、1923年(大正12年)8月に待命[2][3]。翌月、予備役に編入した[2][3]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。