梅津 錦一(うめづ きんいち、1898年12月22日 - 1984年2月18日)は、日本政治家教員実業家参議院議員(1期、日本社会党)。

梅津錦一自邸にて

経歴

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1898年、元前橋藩士・梅津幸次郎、とう(元前橋藩目付・明石家長女)の長男として群馬県前橋市高田町(現・文京町一丁目)に生まれる。1913年、教員養成所に入所し、翌年桂萱小学校補助教員となる。1920年、群馬師範学校本科卒業とともに桐生市北小学校に赴任した。

1947年、高崎市立片岡中学校初代校長に就任。同年、第1回参議院議員通常選挙で、群馬県選挙区より日本社会党公認で立候補し、当選。厚生常任委員長(2期)在任中に、日本赤十字社法の制定をはじめ、児童福祉法・国民栄養改善法・優生保護法改正・遺家族援護法改正案の各法の改正、義務教育6・3制完全実施に関する決議等に関与した。

1953年、セメント製硬質タイルの製法特許を取得、東京都より発明奨励賞授与。翌年、日本タイライト工業株式会社を東京都板橋区前野町に設立し、取締役社長に就任した。

1969年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[1][2]

1978年、株式会社すいらん会長に就任した。

初代群馬県教組初代委員長。西川コンクリート顧問、森産業株式会社顧問及び相談役も歴任した。

1984年2月18日死去、85歳。死没日をもって正五位に叙される[3]

脚注

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  1. ^ 梅津 錦一」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%A2%85%E6%B4%A5%20%E9%8C%A6%E4%B8%80コトバンクより2022年12月17日閲覧 
  2. ^ 『官報』号外第53号2頁 昭和44年4月30日号
  3. ^ 『官報』第17118号13-14頁 昭和59年2月29日号
議会
先代
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  参議院厚生委員長 次代
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