梅津芳三

日本の内務官僚

梅津 芳三(うめづ よしぞう、1892年明治25年)5月25日[1] - 1977年昭和52年)5月17日[2])は、日本の内務官僚神奈川県横須賀市長

梅津芳三

経歴

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岩手県稗貫郡花巻町(現在の花巻市)出身[3]東京帝国大学法科大学英法科在学中の1916年大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年に卒業した[1]大分県属、高知県警視、同理事官兵庫県理事官群馬県書記官警察部長山梨県書記官・警察部長静岡県書記官・警察部長を歴任した[1]

1930年(昭和5年)、神戸市助役となり、神戸市中央卸売市場長事務、神戸海港博覧会事務を執った[3]。さらに1934年(昭和9年)には横浜市助役に就任した[3]。その後、京浜地区魚類配給統制協会専務理事を務めていたが[4]1943年(昭和18年)に横須賀市長に選出され、1947年(昭和22年)まで務めた。

その後、公職追放となり[5]、追放解除後の1953年(昭和28年)、横須賀市長選挙で当選を果たし、再び就任した。

脚注

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  1. ^ a b c 『大衆人事録』
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1977年5月18日、朝刊23頁。
  3. ^ a b c 『神奈川県名鑑』pp.238-239
  4. ^ 『人事興信録』
  5. ^ 公職追放の該当事項は「武徳会横須賀支所長翼賛横須賀市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、703頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 『神奈川県名鑑』横浜貿易新報社、1935年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。