梅月致定
梅月 致定(ばいげつ むねさだ)は、戦国時代の武将。周防大内氏の家臣。
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 新三[1] |
主君 | 周防大内氏 |
氏族 | 梅月氏 |
父母 | 父:梅月頼致[1] |
経歴
編集天文年間初め(1530年代前半)頃、筑前国志摩郡柑子岳城を大内氏が乗っ取り、城普請を行う[2]。致定は父の梅月頼致に従い、石見国高城(三隅城)から柑子岳城に移り、天文4年(1535年)、父が隠居すると城代となる[1]。天文7年(1538年)在番中に豊後国より大友氏が攻め入った際、致定は早良郡安楽平城に退き、同城代の大村興景と共に城を守った[1]。しかしその後、志摩郡は大友氏の勢力下となり、臼杵鎮続が志摩郡代を兼ねて柑子岳城に入った[1][2]。
脚注
編集- ^ a b c d e 阿部 & 西村 1987, 622頁.
- ^ a b 福岡県糸島郡教育会 1927, 102頁.
参考文献
編集- 阿部猛; 西村圭子『戦国人名事典』新人物往来社、1987年。ISBN 4404014120。
- 福岡県糸島郡教育会『糸島郡誌』福岡県糸島郡教育会、1927年 。