梅小路定子

光源寺智秀の娘あるいは仏光寺尭庸(僧正、新坊、治部卿、堯庸)の娘。後西院帝局・妃。贈正三位

梅小路 定子(うめこうじ さだこ/ていし、? - 1680年7月22日延宝8年6月27日))は、後西天皇。父は佛光寺門跡の随如、もしくは光源寺智秀。養父は権大納言梅小路定矩[1]。通称は六条局(rくじょうのつぼね)。位記上の本姓は藤原定子。

天皇との間には公弁法親王八条宮尚仁親王ら4男6女を儲ける[2]

卒去後に正三位が贈られた[2]

出典

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  1. ^ 井上正雄『大阪府全志』 第3巻、清文堂、1975年)
  2. ^ a b 『日本人名大辞典』(講談社