桜デパート
桜デパート(さくらデパート)は、かつて存在した日本の百貨店。鹿児島県鹿屋市に本店を置き、大隅半島では唯一の百貨店(日本百貨店協会加盟[3])であった。
桜デパートグループのロゴマーク(画像右、2007年) 関連企業の桜観光は現在も存続している。 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 鹿児島県鹿屋市北田町2-1[1] |
設立 | 1945年(昭和20年)12月8日[1][2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店の運営 |
代表者 | 代表取締役社長 立元明光[1] |
資本金 |
1700万円[2] ↓ 2000万円[1] |
売上高 |
18億円 (1967年(昭和42年))[1] ↓ 21億円 (1968年(昭和43年))[1] |
従業員数 | 270[2] |
決算期 | 2月[2] |
概要
編集1945年(昭和20年)12月8日に桜商会として進駐軍向け土産物店を個人創業[2]。
1948年(昭和23年)12月に有限会社桜商会として法人化し[2]、1952年(昭和27年)11月に株式会社桜商会に改組した[2][4]。 1953年(昭和28年)12月1日に株式会社桜デパートと商号変更を行い[5]、、同日に[6]鉄筋コンクリート造2階建て・850m2の店舗を完成させた[2]。
1956年(昭和31年)7月1日に[5]3階建て・3,075m2まで増床[2]。1960年(昭和35年)4月に4階建て・4,950m2まで増床[2]。1965年(昭和40年)11月に5階建て・5,250m2まで増床した[2]。1975年(昭和50年)3月には新消防法への適用と共に店舗を約2倍に拡張した[7]。
この間の1974年(昭和49年)4月には寿屋と資本提携し[8]、救済される形でその系列下に入った[9]。
大隅半島初のショッピングセンターであるプラッセだいわ鹿屋店が開業した1991年(平成3年)12月5日にショッピングプラザさくら(寿店の増床計画)の構想を南日本新聞の紙面上で広告として発表し[10]、1993年(平成5年)1月29日には大規模小売店舗法に基づく出店届を提出したが[11]実現には至らなかった。
1994年(平成6年)8月31日に鹿屋本店が閉店[12]。1998年以降は寿屋とくらし館が5店舗の営業権を継承して営業を続けた[13]。
しかし、親会社だった寿屋の構造改革に伴い、1999年(平成11年)12月21日の臨時株主総会で解散を決議した[14]。大隅半島の倒産企業における負債金額の規模では丸栄建設(2008年破綻)に次ぐ[15]。1994年8月末時点の資本金は8,500万円、従業員数は110人であった。
1980年代までの鹿屋市で買い物といえば、鹿屋市中心部にあった桜デパートや遠矢百貨店、タイヨーが一般的であったが、1991年(平成3年)の市役所の移転や1992年(平成4年)の国道220号鹿屋バイパスの全線開通などを機に、衰退の一途をたどった。現在の鹿屋市付近の買い物は鹿屋バイパス沿いのロードサイド店舗が中心となっている。[要出典]
会社データ
編集1989年時点[16]。
- 本部所在地:鹿児島県鹿屋市寿四丁目14番26号
- 資本金:8,000万円
- 店舗数:8
- 従業員数:435人
- 平均年齢:27.6歳
- 関連企業:ラッキーマート、桜外食
店舗
編集1998年以降は寿屋が営業権を貸借していたが、同社の倒産に伴いいずれも2002年2月に閉鎖された。
鹿児島県
編集鹿屋市
編集桜デパート | |
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本店のあった土地は現在駐車場として利用されている。 | |
店舗概要 | |
所在地 | 鹿児島県鹿屋市北田町2-1[1] |
正式名称 | 桜デパート |
設計者 | 斗建築事務所[17] |
延床面積 | 4,855 m²[1] |
商業施設面積 | 3,400 m²[1] |
営業時間 | 9:30-18:00[1] |
- 1956年(昭和31年)7月1日に[5]3階建て・店舗面積3,075m2まで増床[2]。
- 1960年(昭和35年)4月に4階建て・店舗面積4,950m2まで増床[2]。
- 1965年(昭和40年)11月に5階建て・店舗面積5,250m2まで増床した[2]。
- 1975年(昭和50年)3月には新消防法への適用と共に店舗を約2倍に拡張した[7]。
- 本店の店舗は地上7階建てでありいわゆるデパ地下も存在した(朝日新聞記事に基づく、1973年時点は4階建て[要出典])。敷地面積は2,385平方メートル、店舗面積は9,000平方メートル。
- 1994年(平成6年)8月31日をもって休業し、再開店することなった。
- 1994年(平成6年)9月に閉鎖された後10年ほどそのままの状態であったが、再開発施設『リナシティかのや』の建設に伴う周辺整備により2005年3月までに取り壊された。本店敷地は鹿屋市が2億7,961万円で取得。現在は『まちなかパーク』として整備され駐車場として利用されている。
- 店舗面積265m2[20]
- 桜ヶ丘店(鹿屋市西原4-2-2[22])
- 店舗面積3,361m2[22]
- 店舗面積265m2[20]
肝属郡
編集- 大根占店 - ラッキーマートとして営業。[要出典]
曽於郡
編集- 店舗面積729m2[20]
- 店舗面積999m2[24]
- 店舗面積998m2[24]
- 店舗面積999m2[25]
垂水市
編集宮崎県
編集串間市
編集- 店舗面積686m2[28]
- 店舗面積983m2[29]
- 売場面積2,399m2[30]
曽於郡
編集- 店舗面積999m2[25]
関連企業
編集- (株)桜開発グループ(鹿屋市北田町2-9[31])
- 「桜観光」のブランドで展開した旅行業の他、不動産賃貸業や建設業、携帯電話や呉服などの販売も手掛けていた[32]。
- 2020年(令和2年)8月6日に鹿児島地方裁判所鹿屋支部より破産開始決定を受けた[32]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k 『デパート・ニューズ調査年鑑 1969年度版』 デパートニューズ社、1969年。pp316
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『西日本会社要覧 昭和41年版』 西日本新聞社、1966年5月30日。pp446
- ^ 1989年当時。鹿児島県内では他に山形屋(本店)、鹿児島三越(2009年閉店、現マルヤガーデンズ)のみ。
- ^ a b c 『繊維小売年鑑 1965年版』 繊維小売年鑑刊行会、1964年。pp723
- ^ a b c d e “創立30周年特別企画 会員百貨店のあゆみから(その11)九州(Ⅱ)”. 日本百貨店協会通報 455号 (日本百貨店協会) (1978年9月20日).pp50
- ^ 倉本長治 『あなたも成功できる』 東都書房、1957年7月。pp178
- ^ a b 『鹿児島年鑑 昭和51年版』 南日本新聞社、1976年5月30日。pp343
- ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表-4-』 長崎県立国際経済大学論集 20号(3-4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1987年3月)。pp62
- ^ “九州拠点に〝流通戦国〟の「豪族」めざす寿屋”. 実業之世界 1981年9月号 (実業之世界社) (1981年9月1日).pp40
- ^ “プラッセだいわ鹿屋店開業対抗セール広告”. 南日本新聞 (南日本新聞社). (1991年12月5日) pp朝刊14
- ^ “経済日誌(1月)”. 地域経済情報 1993年2月号 (鹿児島地域経済研究所) (1980年6月).pp43
- ^ a b “桜デパート本店 あすから休業 再開計画未定、雇用は継続”. 南日本新聞 (南日本新聞社). (1994年8月31日) pp朝刊8
- ^ “寿屋とくらし館が桜デパート5店舗の営業権を貸借”. 南日本新聞 (南日本新聞社). (1998年1月22日) pp朝刊8
- ^ “壽屋、桜デパートなど関連3社を清算”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年2月11日) pp4
- ^ 『南日本新聞』 南日本新聞社、2008年6月22日朝刊1面。記事では丸栄建設グループ3社の合計としている。
- ^ (求人広告)『南日本新聞』1989年7月3日朝刊27頁。
- ^ 『設計事務所便覧 1967・全国版』 日刊建設工業新聞社、1966年11月30日。pp233-234
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp626
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp625
- ^ a b c d e f g h i 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp618
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。pp
- ^ a b c d “昭和54年度 大規模小売店舗法施行状況”. 九州商工時報 1980年6月号 (九州商工協会) (1980年6月).pp14
- ^ a b c d e f “桜デパート寿店新規開店”. 日本百貨店協会会報 1980年12月号 (日本百貨店協会) (1980年12月).pp44
- ^ a b c d e f 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。pp1601
- ^ a b c d e f 北沢淳 『大型店の届け出史上最高に 94年の新増設動向(上) 第2種急増がけん引役 運用緩和で専門店に勢い』 日経地域情報 No.218増大号(日経産業消費研究所) (1995年4月)。pp24
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2002年版』 東洋経済新報社、2002年。pp1697
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年。pp357
- ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp245
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。pp1575
- ^ a b c “新設大規模小売店舗一覧表”. 九州商工時報 1975年7月号 (九州商工協会) (1975年7月).pp19
- ^ a b 『鹿児島年鑑 昭和51年版』 南日本新聞社、1976年5月30日。pp685
- ^ a b “桜開発、破産開始へ 負債は2億5000万円 東京商工リサーチ調べ | 株式会社旅行新聞新社”. 2023年4月20日閲覧。
- ^ 『鹿児島年鑑 昭和51年版』 南日本新聞社、1976年5月30日。pp709
- ^ a b 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1969年。pp3025
参考文献
編集- 『鹿児島大百科事典』 南日本新聞社、1981年。
- 『南日本新聞』
- (求人広告)1989年7月3日朝刊27頁。
- (プラッセだいわ鹿屋店開業対抗セール広告)1991年12月5日朝刊14頁。
- 「桜デパート本店 あすから休業 再開計画未定、雇用は継続」 1994年8月31日朝刊8頁。
- 「寿屋とくらし館が桜デパート5店舗の営業権を貸借」 1998年1月22日朝刊8頁。
- 「旧桜デパート解体に着手」 2005年1月4日朝刊25頁。
- 『朝日新聞』 2004年12月14日35頁、鹿児島版。
関連項目
編集外部リンク
編集- 鹿屋市の桜デパート - 南日本新聞公式ウェブサイト内「懐かしフォトギャラリー」。1973年11月時点の外観。