桜もさよならも日本語
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『桜もさよならも日本語』(さくらもさよならもにほんご)は、1986年に刊行された丸谷才一の評論、随筆。1974年に刊行された『日本語のために』の続編である[1]。
概要
編集1986年1月25日、新潮社より刊行された。装丁は和田誠。1989年7月25日、新潮文庫として文庫化された。
2011年3月1日、『完本 日本語のために』が新潮文庫として出版される。『完本』は、オリジナルの『日本語のために』と本書とを併せ、一部を除いて再編集したものである。湯川豊による聞き書き「日本人はなぜ日本語論が好きなのか」[2]が新たに収録されている。
内容
編集- 国語教科書を読む
- 『朝日新聞』1983年5月16日~5月31日、6月21日に掲載された。「分かち書きはやめよう」「漢字配当表は廃止しよう」「完全な五十音図を教へよう」「読書感想文は書かせるな」「ローマ字よりも漢字を」「漢語は使ひ過ぎないやうに」「名文を読ませよう」「子供に詩を作らせるな」「古典を読ませよう」「話し上手、聞き上手を育てよう」[3]「正しい語感を育てよう」の全11回。
- 言葉と文字と精神と
- 『日本語の世界16 国語改革を批判する』(中央公論社、1983年5月)に収録された。
- 詳細は「国語改革を批判する」を参照
- 日本語へらず口
- 「させていただく」(『新潮45+』1985年1月号)[4]、「字音語考」(『新潮45+』1985年2月号)、「郵便語と鉄道語」(『新潮45+』1985年3月号)、「巨人の腹」(『文學界』1985年7月号)の4編のエッセイ。これら4編は『完本 日本語のために』には収録されなかった。
- 慶応大学法学部は試験をやり直せ
- 『週刊朝日』1976年4月16日号に掲載された。
- 小林秀雄の文章は出題するな[5]
- 『週刊朝日』1980年5月16日号に掲載された。
脚注
編集- ^ 作者自身の言葉による。本書のあとがきより。
- ^ 初出は『考える人』2010年冬号。
- ^ 丸谷の主張は以下のとおり。「論理の筋をきちんと通しながら、しかし優しく語ること。この両立は、『草枕』の出だしではないけれど、なかなかむづかしい。今までの日本人はどうも、筋道を立てて言ふと冷たくなり、情愛がこもるとただ情愛だけになりがちだつた。つまりこれは社会がまだよく知らないことだから、学校が教へるしかないのである。」「聞き方で大切なのは、相手が一言いふたびに口をはさまずに、まとめてものを言はせ、必ずしも相づちを打たなくていいから、遠慮しないで語れと表情その他でおだやかに励まし、しかも、その意見の大筋をたどつて、枝葉のところにはこだはらずに論旨をとらへることである。」
- ^ 「させていただく」という言い回しの「文句のつけやうがない」用例として丸谷は、谷崎潤一郎の『春琴抄』と、同じく谷崎が根津松子(のちに夫人となる谷崎松子)に宛てた書簡を挙げている。
- ^ 1979年5月4日に行われた日弁連講演会で、丸谷はこう述べている。「小林秀雄氏の業績を尊敬する点では私も人後も落ちませんが、しかしあの人の文章は何やら上から稲妻がピカツと光つて、おどしをかけて人を平伏させる。かと思ふと次の稲妻がピカツと光つてさらに平伏させる――さういふことが何度もくりかへされて、何となく驚かされてゐるうちに、どうだわかつたかといつたやうな感じでパツと終る。そんな文章の運びであつて、あれはまあ詩ですね」(『丸谷才一批評集 第6巻 日本語で生きる』文藝春秋、1996年3月、251頁)