桓歆
桓 歆(かん きん、生没年不詳)は、東晋末期の人物。字は叔道。譙国竜亢県の人。東晋の大司馬桓温の子。東晋・桓楚に仕えたが、反桓楚の義軍に敗れた。
生涯
編集東晋に仕え、臨賀公に封じられていた。
元興2年(403年)12月、桓楚が建国されると、臨賀王に封じられた。
元興3年(404年)4月、氐族の指導者楊秋とともに歴陽を攻撃した。建威将軍魏詠之は、輔国将軍諸葛長民・輔国将軍劉敬宣・鎮軍督護劉鍾とともに迎撃、桓歆らは敗れ、楊秋は練固で討死した。
さらに諸葛長民・劉敬宣と芍陂で戦い、敗れた桓歆は単騎で淮河を渡って逃走した。これ以後の事跡は記されていない。