桓宗 (西夏)
桓宗(かんそう)は、西夏の第6代皇帝。諱は純佑。仁宗の長男。
桓宗 李純佑 | |
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西夏 | |
第6代皇帝 | |
王朝 | 西夏 |
在位期間 | 1193年10月 - 1206年3月1日 |
姓・諱 | 李純佑 |
諡号 | 昭簡皇帝 |
廟号 | 桓宗 |
生年 | 乾祐8年(1177年) |
没年 | 応天元年(1206年)3月 |
父 | 仁宗 |
母 | 章献欽慈皇后羅氏 |
陵墓 | 荘陵 |
年号 |
天慶 : 1194年 - 1205年 応天 : 1206年 |
生涯
編集天慶7年(1200年)に母の羅太后が病に罹ると、金から医師を呼んで薬を処方させた。
天慶12年(1205年)に西夏は初めて[1]チンギス・カン率いるモンゴル軍の侵入を受ける。モンゴル軍の包囲を受けた力吉里(エリンリキ)の城砦は陥落し、経落思(ケレンクルシ)城は略奪され、住民とラクダがモンゴル軍に奪われた[2]。翌応天元年(1206年)に羅太后と甥の李安全を中心とする一派によって帝位を廃され[3]、配所で没した[4]。
脚注
編集参考文献
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