桑折藩
概要
編集藩主は奥平氏系の松平家(奥平松平家)で、徳川家康の女婿・奥平信昌の孫・松平忠弘の養子となった松平忠尚を藩祖とする。家格は帝鑑間詰譜代大名。
有望な実子の無い忠弘に直系の孫忠雅が生まれたため、元禄元年(1688年)、養子の忠尚に新田分2万石(白河新田藩)が分与されたのが本藩の始まりである。その後、本家の福山転封に伴い、桑折の地に独自の陣屋(桑折陣屋)を置いて桑折藩としての統治を開始した。松平忠恒の代の延享4年(1747年)に上野篠塚に転封となり、桑折藩は廃藩となった。忠恒は短期間に篠塚・上里見・小幡と上野国内を転々とするが、最終的に小幡の地に落ち着いて明治維新まで続いた。
その後、この地は幕府領となり、桑折には幕府の代官所が置かれた。