桑原正紀
経歴
編集広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。[1]
國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。
1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。1976年、「コスモス」の新人賞である「桐の花賞」を受賞。1985年、「コスモス」の仲間である奥村晃作、高野公彦らと同人誌「棧橋」を創刊[2]。
脳動脈瘤破裂で倒れた妻を真摯な愛をもって介護する日々を、それまでになくストレートな作風で描いた第5歌集『妻へ。千年待たむ』で介護詠の旗手となる[3]。2009年には、やはり老人介護問題をテーマとした作品「棄老病棟」で第45回短歌研究賞を受賞した。
著書
編集関連文献
編集- 木畑紀子 『曙光の歌びと-「桑原正紀」を読む』 短歌研究社、2011年
脚注
編集外部リンク
編集- 今週の短歌-桑原正紀 または、光と闇の陰影深く生を詠う歌
- 以上も以下も求めない語り-桑原正紀歌集『時のほとり』 - ウェイバックマシン(2004年3月8日アーカイブ分)
- トナカイ語研究日誌-映画化してみたい歌集
- コスモス短歌会