桃井尚儀(もものい ひさのり)は、南北朝時代の武将。
越中国射水郡(現富山県射水市)浅井城主。官位は右馬頭。
父は桃井直和とも、桃井直弘の子近衛将監直尚とも伝わる。
応安三年(1370年)、長沢の戦いで桃井直和が討死すると、仇敵斯波氏と桃井氏は和議を結び、尚儀は斯波義将の娘益子を娶り、浅井郷を与えられて浅井城を築いた。法号は、妙連尊儀、本光院殿円愈。墓所は富山市布市興国寺、本光寺(現在、射水市本田)。