桂田光喜

日本の実業家 (1933-2007)。電通社長

桂田 光喜(かつらだ てるよし、1933年(昭和8年)3月27日 - 2007年(平成19年)1月30日)は、日本の実業家電通代表取締役副社長を務めた。静岡県生まれの東京都育ち。

かつらだ てるよし

桂田 光喜
生誕 (1933-03-27) 1933年3月27日
静岡県
死没 (2007-01-30) 2007年1月30日(73歳没)
死因 心不全
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部
職業 実業家
桂田利吉
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人物・経歴

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英文学者桂田利吉の二男として生まれる[1]

1960年(昭和35年)東京大学文学部を卒業後、電通に入社。

ラジオ・テレビ局長時代、テレビ朝日小田久栄門報道局次長が久米宏をメインキャスターにして、『ニュースステーション』をスタートさせる際、CM枠を電通が最低保証で買い切ると約束した[2]。小田は保証という背景の強みがなければ、ニュースステーションを続けることはできなかっただろう。と明かしている[3]

1989年(平成元年)取締役に選任され、91年に常務取締役、95年に専務取締役、97年に代表取締役副社長に昇進する。

1999年(平成11年)4月、インターネット広告推進協議会を立ち上げるに際しては、発起人会代表を務めた。

2007年1月30日、心不全のため死去。73歳没[4]

代表作

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公開年 作品名 制作(配給) 役職
1996年 12月14日 金田一少年の事件簿 講談社
日本テレビ
電通
東映
東映動画
企画
1997年 7月12日 もののけ姫 徳間書店
日本テレビ
電通
スタジオジブリ
東宝
12月13日 金田一少年の事件簿 上海魚人伝説 講談社
日本テレビ
電通
バップ
(東宝)
製作補
1999年 8月21日 金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー 講談社
よみうりテレビ
電通
東映
東映動画
2000年 8月19日 ホワイトアウト 日本ヘラルド映画
フジテレビ
電通
日本ビクター
アイ・エヌ・ビー
デスティニー
東宝
2001年 7月20日 千と千尋の神隠し 徳間書店
スタジオジブリ
ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン
日本テレビ
電通
東北新社
三菱商事
ディーライツ
(東宝)
9月15日 ウォーターボーイズ フジテレビ
アルタミラピクチャーズ
電通
東宝

著書

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  • 『シリーズ証言50年--経営者が振り返る経済同友会(3)』経済同友 / 経済同友会事務局 編、1996年7月。 

脚注

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  1. ^ 『日本経済新聞』1992年2月9日 27頁
  2. ^ 小田 2001, p. 88 - 91.
  3. ^ 小田 2001, p. 91.
  4. ^ 『日本経済新聞』2007年2月2日 39頁

参考文献・出典

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  • 小田久栄門『テレビ戦争勝組の掟 仕掛人のメディア構造改革論』同朋舎、2001年12月。ISBN 978-4-8104-2737-0