桂川 力蔵(かつらがわ りきぞう、1895年9月30日[1] - 1955年1月7日[2] )は、青森県東津軽郡野内村出身[1]入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は根井 蔵次郎[1]。最高位は東十両5枚目。

来歴

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1916年入間川部屋に入門、同年5月場所「中ノ汐」の四股名で初土俵を踏む[1]。翌1917年1月場所から「桂川」に改名した[1]1921年1月場所新十両。この場所は3勝2敗と勝ち越した[2]。場所後の台湾巡業に向かう途中、左目が急に痛み出し、急遽治療のため日本に戻った[2]。診察の結果原因は不明だった。その後は治療に専念したが5月場所は全休。病状が悪化しついに失明した。失明により相撲が取れなくなったため、この場所限りで廃業した[2]

廃業後は北海道に渡り、運送会社に勤めた[2]1955年に死去した。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『あおもり力士よもやま話』第1巻、141頁。
  2. ^ a b c d e 『あおもり力士よもやま話』第1巻、142頁。

参考文献

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  • 『あおもり力士よもやま話』第1巻 奈月ひかる(北の街社刊)

関連項目

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