栃木兄弟誘拐殺人事件
栃木兄弟誘拐殺人事件(とちぎきょうだいゆうかいじけん)は、2004年(平成16年)9月に栃木県小山市で兄弟が誘拐され、暴行の末に川に落とされて殺害された事件[10]。オレンジリボン運動のきっかけとなった事件である[11]。
栃木兄弟誘拐殺人事件 | |
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場所 | 日本・栃木県小山市粟宮(旧間中橋)[1] |
標的 | 兄弟(当時4歳と3歳)[2] |
日付 |
2004年(平成16年)9月12日 午前1時30分 (UTC+9) |
概要 | 男が同居していた兄弟に暴行した上、川に投げ入れて殺害。また、事件前に同居していた自宅アパートで覚醒剤を使用した。 |
攻撃手段 | 川に投げ入れる |
攻撃側人数 | 1人 |
死亡者 | 2人 |
犯人 | 同居していたアパートの家主の男S(当時39歳)[2] |
容疑 | 殺人・覚醒剤取締法違反(使用) |
動機 | 同居を巡るトラブル[3][4] |
対処 | Sを小山警察署捜査本部が逮捕・宇都宮地方検察庁が起訴[注 1] |
謝罪 | 殺人容疑で再逮捕された時に「兄弟には申し訳ないことをした」と謝罪した[7]。 |
刑事訴訟 | 死刑(控訴中に被告人死亡により公訴棄却[8]) |
影響 | |
管轄 |
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事件の経過
編集- 2004年9月11日 - 栃木県小山市で兄弟(当時4歳と3歳)の誘拐事件が発生[2]。栃木県警察は誘拐事件と見て小山警察署に捜査本部を設置[2]。兄弟の捜索に乗り出した[2]。
- 2004年9月12日 - 深夜、小山警察署捜査本部は被害者家族と同居していたアパートの家主の男S(当時39歳)を未成年者誘拐容疑で逮捕した[注 2][2][12]。逮捕後、Sは「12日午前1時30分ごろ、小山市間々田の路上に2人を置き去りにした」と供述した[2]。
- 2004年9月13日 - 栃木県警察はSの供述を基に小山市間々田地区や市内を流れる思川河川敷などを350人態勢で捜索したが、2人を発見できなかった[2]。一方、逮捕後にSが曖昧な供述を繰り返していたため、小山警察署捜査本部はSの長女と長男から任意で事情聴取を行った[2][12]。その後、Sが「川で兄弟を殺害した」「小山市間々田の思川に2人を置いた」と2人の殺害を認めたため、栃木県警察はSを現場に同行させて兄弟の放置場所を確認させた[14]。
- 2004年9月14日 - 前日のSの供述を基に捜索した結果、Sの供述通りに思川の中州で弟の遺体が発見される[14][15]。捜査本部は残る兄についても思川周辺を中心に捜索を行った[14]。
- 2004年9月15日 - 兄弟の父親(当時40歳)が小山市立文化センターで開かれた記者会見に応じ、兄弟について「怖い、痛い、冷たい思いをさせてしまって申し訳ない」などと心境を語った[注 3][16]。また、Sに対しては「ここまでやるとは思わなかった。憎しみしかない」と憤った[16]。一方、Sは「暗くなってから、兄弟を橋から川に投げ込んだ」と供述したが、水死と見られる痕跡がなかったという司法解剖の結果と矛盾しているため、捜査本部は弟の死因の特定を進めた[16]。これと並行して捜査本部は引き続き100人態勢で兄の捜索を行った[16]。
- 2004年9月16日 - 兄の遺体も思川で発見される[17]。これを受けて捜査本部はSを兄弟に対する殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[17][18][19]。一方、兄弟の死因は完全には特定できなかったたが、現場の状況などから捜査本部は水死と判断した[20]。
- 2004年9月17日 - 小山警察署捜査本部はSを兄弟に対する殺人容疑で再逮捕した[注 4][7]。再逮捕時、Sは容疑を認めた上で殺害に至った動機については、同居に対する不満に加えて「2人を殴ってあざを作ってしまったので、そのまま2人を連れて帰ると父親に殴られると思った」と供述した[7]。
- 2004年9月19日 - 小山警察署捜査本部はSを殺人容疑で宇都宮地検に送検した[21]。また、Sの「兄弟を殴ってあざを作り、連れて帰れば父親に殴られると思った」「殺害場所を探して栃木県足利市や群馬県太田市を車で走った」などの供述から、自宅近くのガソリンスタンドで兄弟に暴行を加えた後に殺意を抱いたことが分かった[21]。
- 2004年9月30日 - 小山警察署捜査本部は兄弟の父親を覚醒剤取締法違反(使用)容疑で逮捕した[注 5][22]。小山警察署捜査本部はSも覚醒剤を使用していると見て入手経路などについて捜査を開始した[22]。
- 2004年10月8日 - 宇都宮地検はSを殺人罪で起訴した[23]。
- 2004年10月15日 - 小山警察署捜査本部はSを覚醒剤取締法違反(使用)容疑で宇都宮地検に追送検した[24]。
- 2004年10月20日 - 宇都宮地検はSと兄弟の父親を覚醒剤取締法違反(使用)の罪で起訴した[25]。なお、未成年者誘拐容疑については不起訴処分(起訴猶予)、暴行や傷害は立件を見送った[注 6][25]。
刑事裁判
編集第一審・宇都宮地裁
編集2004年12月14日、宇都宮地裁[注 7](飯渕進裁判長)で初公判が開かれ、被告人Sは罪状認否で起訴事実を認めたが、覚醒剤を使用して錯乱状態だったと主張した[26][27]。弁護側も「覚せい剤を乱用し、妄想、興奮状態で殺人に及んだもので、心神耗弱状態だった」と主張し、刑事責任能力について争う姿勢を見せた[27]。
2005年2月1日、兄弟の父親[注 8][28]が証人として出廷し、Sについて「気の小さい、調子の良い人間」と評した[28]。また、兄弟に対しては「本当に申し訳ないことをした。被告人は私を憎んでおり、私の身代わりに殺されたようなものだ」と心境を述べた[28]。一方、事件当時のSについては「(事件の2日前に一緒に使った時は)特段変わった様子はなかった」と証言した[注 9][28]。
2005年4月21日、被告人質問が行われ、兄弟を虐待した理由について「夜中にギャーギャー騒がれた。あまりにも生意気だった」と述べた[29]。また、事件前に兄弟の父親に殴られたことで退去を求めた際、「お前には一生面倒を見てもらう」と言われたことなどに不満を抱いていたと説明した[29]。
2005年7月5日、被害者家族と同居を継続した理由についてSは「デメリットの方が多かったが、メリットもあった」と回答した[30]。また、覚醒剤を父親と一緒に使用するのも理由のうちの1つとも回答した[30]。
2005年8月9日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「落ち度もない幼児2人を橋の上から投げ入れて殺害した犯行態様は卑劣」としてSに死刑を求刑した[31]。
2005年9月8日、宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で判決公判が開かれ「幼児2人の尊い生命が失われた結果は非常に重大」などとしてSに求刑通り死刑判決を言い渡した[8]。
判決ではSの完全責任能力を認めた上で、兄弟に暴行を加えていたことについて「しつけなどとして到底許容されない」と非難[8]。また、兄弟の遺体が容易に発見されないように流速の早い川を選んだことについても「絶命するまでに受ける苦痛や恐怖も甚だしい。勝手な思い込みながら、かわいそうと思って避けたという絞殺に比べ、悪質性が高いことも明らか」として死刑をもって臨むのはやむを得ないと結論付けた[8]。
一方で、児童相談所が兄弟の虐待を知りながら何ら対策を取らなかったことについても「(児童相談所の)あり方が問われかねない。誠に遺憾な対応と言わざるを得ない」と対応を厳しく批判した[8]。弁護側は判決を不服として控訴した[32]。
被告人死亡・公訴棄却
編集2006年6月4日、Sは拘置先の東京拘置所で病死した[32]。41歳没[32]。
Sは2006年4月、宇都宮拘置支所から東京拘置所に移送されたが、直後に風邪を拗らせたことで5月30日の控訴審初公判が延期[注 10][32]。5月下旬に容体が悪化し、6月4日夕方、東京拘置所内の病室で死亡した[32]。
2006年6月21日、東京高裁(池田修裁判長)はSの死亡を受けて公訴棄却を決定した[33]。
兄弟の父親の裁判
編集2004年11月22日、宇都宮地裁(飯渕進裁判官)は「覚せい剤に対する姿勢は安易で、常習性もある」として懲役1年6月(求刑:2年6月)の実刑判決を言い渡した[34]。
問題点
編集Sが兄弟に虐待を繰り返しているのを受けて児童相談所が兄弟を一時保護した後、事件発生まで十分な確認や職員の派遣をしなかったことが問題視された[注 11][35]。栃木県は虐待の全容を把握しないまま、2人を父親のもとに帰した点、兄弟が容疑者宅に戻った事実を知りながら、職員を派遣しなかった点が対応として不適切だったと認めた[36][37]。その上で再発防止に向けて組織改革を含めた児童福祉行政の見直しを行うと発表した[36]。
その他
編集事件後、匿名の人物により「兄弟地蔵」が設置され、近隣住民が清掃などの手入れをしながら兄弟を供養している[注 12][38][39]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 覚醒剤取締法違反(使用)の罪に関しては兄弟の父親も逮捕・起訴された[5][6]。
- ^ 逮捕前、Sは「光熱費ももらえなかった。出ていってもらいたかったが、先輩なので言えなかった」と共同生活に対する不満を訴えていた[12]。これに対し、兄弟の父親は「まっかなうそ。同情を得ようと言っているのだろう」と指摘した上で「光熱費はSではない、別の人間が払っていた。食費は半分は自分が負担した」と反論している[13]。
- ^ 同日の記者会見では、Sと同居した経緯について、東京での仕事が見つからずに栃木に戻ったところ、Sから「うちに来なよ」と連絡があったので「子供がいるから悪いと断ったが、Sから『うちにも子供がいるから』と言われ、甘えてしまった」と説明している[13]。
- ^ 未成年者誘拐容疑については処分保留としたため、釈放直後に殺人容疑で再逮捕している[7]。
- ^ 9月12日にアパートを捜索したところ、覚醒剤を入れていたと見られる小袋が発見されたため、2人に尿検査を行った結果、陽性反応が出たため逮捕に踏み切った[22]。
- ^ 未成年者誘拐容疑について不起訴処分とした理由について宇都宮地検は、犯罪の構成条件を満足しているとした上で「殺害場所を探して連れ回していたのであり、あえて起訴する必要はないと判断した」としている[25]。
- ^ 本来、小山市は宇都宮地方裁判所栃木支部(栃木市)の管轄で、本事件のように合議事件は栃木支部でも取り扱っているが、実際には宇都宮地方裁判所本庁(宇都宮市)で行われた。
- ^ 後述の裁判で懲役1年6月の判決が確定したため、受刑者として服役中[28]。
- ^ この時、Sの弁護人から「覚せい剤をSに渡していたでしょう」などと追及を受けたが、強く否定している[28]。
- ^ 5月9日に弁護士と接見した際、Sは「天国にいる兄弟に早く謝りたい」と話したが、その時から既に体調が優れない状態だった[32]。
- ^ 特に兄弟の祖母は一時保護した栃木県県南児童相談所に家庭訪問するよう再三要請していたため、「(家庭訪問に)行けば、何が起こっているか分かったかもしれない」と児童相談所の対応を批判している[35]。
- ^ 当初、現場付近に設置されていたが、現在は新間中橋下流、思川左岸の堤防上に移動している[35]。
出典
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- ^ 「小山の幼い兄弟殺害20年 悲劇再発防止「語り継ぐ」、供養の地蔵前で来訪者が祈り」『下野新聞』2024年9月13日。オリジナルの2024年9月13日時点におけるアーカイブ。2025年1月13日閲覧。
参考文献
編集- 『殺人現場を歩く2』 2巻、ミリオン出版、2006年7月21日。ISBN 4813020429。