柿本 市守(かきのもと の いちもり)は、奈良時代の貴族。従四位下・柿本猨の孫で、従五位下・柿本建石の子とする系図がある。官位は従五位上・主計頭。
聖武朝末の天平20年(748年)従五位下に叙爵し、翌天平感宝元年(749年)丹後守に任ぜられると、孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年)安芸守と聖武朝から孝謙朝にかけて地方官を歴任する。
淳仁朝の天平宝字5年(761年)主計頭として京官に遷り、天平宝字8年(764年)従五位上に至る。
『続日本紀』による。