柳田城
柳田城(やないたじょう)は、愛知県岡崎市にあった中世の日本の城(山城)。別称は柳田村古城など。
柳田城 (愛知県) | |
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別名 | 柳田村古城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 1285年(弘安8年)[1] |
主な城主 | 山内角兵衛、鈴木氏、横山五郎右衛門 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯34度59分13.3秒 東経137度18分47.0秒 / 北緯34.987028度 東経137.313056度座標: 北緯34度59分13.3秒 東経137度18分47.0秒 / 北緯34.987028度 東経137.313056度 |
地図 |
概要
編集現在の岡崎市桜形町字惣玉、または仲屋畑、または字紺屋貝津・革屋畑の山麓に存在したとされる[2]。現在、城館遺構はなく、山や畑と化している。松平親氏の時代に城主の山内各兵衛が居住した。次に「参州本間氏覚書」で日近衆に挙げられている鈴木某、横山五郎右衛門(あるいは横山五郎兵衛)、竹内彦太夫らが居住し、その後廃城となる[3]。
伝承
編集旧形埜村大字桜形字柳田西郷にある十数軒の家の住民は、カボチャを栽培することがなく、もしあえてカボチャを作ったときには必ず良からぬことがあったという。これは、かつてこの柳田城の城主であった某が、戦いの際に不運にもカボチャの蔓に足をとられて落命したということに由来するとされる [4]。
出典
編集- 『三河国額田郡誌』 愛知県額田郡役所、1924年3月20日
- 『新編 岡崎市史 額田資料編Ⅰ 文化財 考古 中世城館』 新編岡崎市史額田資料編編集委員会、2010年3月31日
- 『額田町史』 額田町史編集委員会、1986年11月1日
脚注
編集- ^ 『額田町史』 p146
- ^ 『新編 岡崎市史 額田資料編Ⅰ 文化財 考古 中世城館』 p323
- ^ 『三河国額田郡誌』 p293
- ^ 『三河国額田郡誌』 p528